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2022.10.25

約41年間の歩みNO.24

新しい戦力が加わり私の組織は変化の兆しが見え始めました。

しかし、組織の現状は女性8割の世界でしたので簡単に馴染むことは出来

なかったと思います。

ですがベテランのお姉さまたちが生命保険営業について、商品の特徴につ

いて、契約保全の大切さについて、事務処理について多方面から応援して

くれました。

そして、丁度導入されていたロジカルに体系立てられたコンサルティング

手法を駆使し彼は見事な生保営業のスタートを切ったのです。

当時の私は男性拠点長の管下にいるユニットマネージャーという立場でし

たがユニット内の人数は20名いました。

更に組織を拡大して行くには私の右腕左腕が必要です。

既にユニット内にはユニットマネージャーが存在しておりましたが、いつか

私がこの組織を離れることになっても拠点長として任せられる人材を育てた

いと思っていました。

そこで新人ではありますが彼に期待をかけてみたのです。

数か月後には男性2名を採用し、コンサルティング手法を徹底的にトレーニ

ングし、新人育成に貢献してくれました。

その結果ユニットマネージャーに昇格してくれて私の組織は体制が整いつつ

ありました。

他にも私が事務員だった辛い状況の時に親しくなった元教員で博学の女性や

営業バリバリでスキルの高い優績者の女性、他外資系生命保険で活躍後に転

職して来た男性のユニットマネージャーに支えられて業績も陣容も右肩上が

りで成長して行きました。

私がユニットマネージャーをしていて一番遣り甲斐があって心から楽しめた

時期でした。

2022.10.24

約41年間の歩みNO.23

 厳しい状況に一筋の光が見えたのが2004年の後半。

きっと無理だろうと半ばあきらめていた外車販売トップセールスマンが

私の組織への転職を考え始めてくれたのです。

実は私の高校時代の後輩であり、夫の野球仲間でもありました。

まだお子さんも小さく、これから教育費がかかる時期です。

私はだからこそ、生命保険業界にお誘いしたのです。

ご存知の方も多いかと思いますが、生命保険のビジネスは最低保障給与

はあるものの基本的にはフルコミッションの世界です。

しかも私が在籍していた会社は、契約が挙がれば挙がっただけの給与が

支払われました。つまり青天井なわけです。

彼は人脈も多く、営業力も高く、地頭も良い!まさに会社が求める人材

の要素を殆ど兼ね備えていたのです。

そして、2005年1月に入社が決定!!

私にとっては青天の霹靂!!!

ただ、嬉しくて小躍りしたくなる自分と、彼の人生を背負う責任に潰さ

れそうになる自分との葛藤もありました。

そして、私はその責任を全力で全うしようと心に誓ったのです。

彼に比べて人脈も営業力も地頭も低い私でしたが、責任感と行動力、何

より相手の話をしっかり聴くことは自分の強みだと思っていました。

そして、人としての器を磨き高めることを目指し各種の自己啓発を始め

たのです。

「心に描いた夢は必ず実現する」

今もこの言葉を信じて毎日チャレンジを続けています。

2022.10.23

約41年間の歩みNO.22

 私はオフィスでの立場がだんだん小さくなって行くのを感じていました。

本社からも尋問のような聴き取りがあり不安定な状況が続きました。

新人は成績が優秀でしたので会社としても大切にしたかったのだと思いま

す。

その時の私にできることは、やるべきことをやるだけ・・・

そう心を切り替え、できるだけ平静を保とうと努力しました。

ベテランの方々の助けも得て元気を取り戻していったのです。

そして、次に私に元気を与えてくれたのは本社の全国新人研修のサポート

業務でした。

3ケ月に一度は自ら希望し本社までサポートに行きました。

そこで得た知識や経験を自分の組織で活かしたいとも考えていました。

その時の本社研修スタッフは熱意の塊みたいな方ばかりだったと記憶して

います。研修チームのトップは「こんなにロジカルに納得行く話ができる

人っているんだ!」と思うような素晴らしい講師でした。

数年後には独立されて会社から離れてしまいましたが会社にとって大きな

財産を残してくれたと思っています。

この時期は、辛い経験もしましたが、それ以上に心が豊かになる経験をす

ることができたと感謝しています。

全ての出来事は私が成長するためにあったのだと今なら思えます。

2022.10.22

約41年間の歩みNO.21

 私は会社が「誰もが働きたい会社」を目指して大きく舵を切ったことを実感しました。

そして、少なくても私の組織は年配者も若年者も男性も女性も同じ方向を向いていたと

確信しています。

会社のビジョン、ミッション、バリューが明確で誰も疑いようがなかったのです。

オフィス内のディスクなども一新され明るく爽やかになりました。

と同時に採用の考え方が大きく変わり、年間4名の採用でOKとなりました。

それまでは組織を拡大するために1人でも多く採用することが求められており、毎月

採用数に追われていたように思います。

ただ、採用数は求めないが質に拘るというのがコンセプトでした。

その為に、採用候補者の情報を集め、電話でアポイントをとり、ホテルのラウンジ等

で会い、ファーストアプローチをする。その際のマニュアルがあり、ロープレを重ね、

次のステップであるキャリア オポチュニティ プログラムのセッションに繋げることを

目指してマネージャーにとって最も重要な活動と位置づけていました。

私は忠実に守りながら活動したつもりでしたが、入社後長く続かなかったり成績が振る

わなかったりで苦戦していました。

そんな状況が続いていた時に事件が起きました。

新人の一人が私に不満を抱き本社に訴えたのです。

私は本社で実施していた全国新人研修にほぼ毎月のようにサポートで行っていたので即

情報を得ました。

その時はいきなり本社に訴えられて強い憤りを感じましたが、ここで腹を立てて大事に

する気にもなれませんでした。この人がそう感じたのだから否定しようがないわけです。

つまり、私が仕事をしていないと言うわけです。

新人の考える仕事と私が優先している仕事が違ったわけです。

ただ、ここでの失敗は相手に理解してもらうまで話し合わなかったことでした。

問題を放置したままになっていたのです。

その状況が本社の私への評価に影響していることを、その時私は気付いていませんでした。

2022.10.21

約41年間の歩みNO.20

 ユニットマネージャーとしてスタートしたのが2003年4月1日のことです。

権限や会社からの情報量は極端に減りましたが日々のルーティーン業務は

殆ど変わりません。ですが採用、教育、育成に対する考え方がガラリと変

わりました。

そして一番変わったのは営業教育の在り方、トレーニングの考え方、営業

手法でした。

それまでの新人営業職員に対しての研修は契約募集ができる最低限の資格

を得るための一般過程試験に合格することを目指した研修でした。

ですので、講義や模擬テストが中心でした。

無事合格後は商品勉強です。数多の商品から代表的な商品をパンフレット

や約款を使って教えていました。

その新人初期研修が大きく変わったのです。

それまでは入社した拠点だけでの研修でしたが試験合格後の翌月には全国

の新人営業職員が東京本社に集まり合宿研修のような形態で集合研修が行

われるようになりました。

その研修はロープレ中心の実践的研修であり当初は夜遅くまで本人が納得

するまでロープレが繰り広げられていました。

当時の主力商品であるユニバーサル保険を販売する為にお客様の購入心理

に沿ってアプローチフリップ(紙芝居のようなもの)が全職員に提供され、

そのフリップを使いながら、いかに自分の言葉で会社や自分の想いを伝え

られるかを繰り返し練習したのでした。

私は、まさに目から鱗が落ちる状態で、心の底からワクワクが止まらない

気持ちでいっぱいだったのを昨日のことのように覚えています。

また、ユニットマネージャーの研修も新設されました。

新人研修が変わったのですから当然の流れではありましたが・・・

ここで改めてコーチングの基本を学んだのです。

今までは営業の方々に業績の見込み状況をメインに確認するという面談で

したが、レビューという名のもとにコーチングを駆使して育成して行くと

いう手法を取り入れていきました。

その時のバイブル書籍がヒューマンバリュー編著の「コーチングの技術」

です。

今でも大切な書籍の一冊として繰り返し読み、都度新たな気付きを与えて

もらっています。