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2022.10.28
約41年間の歩みNO.27
アッと言う間に2年が経過し上長も変わりました。
次の上長も第百生命出身者でした。
どちらも私より年下の上司でしたが見識が高く人間性に溢れる素晴らしい方々
でした。
目標意識が高く常に会社に貢献しようと努力する姿に、私は共に成長したいと
心に決めていました。
そんなある日、上長から営業拠点長のオファーがあったのです。
返事は「YESかハイで」というニュアンスが伝わってきて、ほぼ即答状態だった
と記憶しています。
その営業拠点はとても難しい問題を抱えていました。
前任者は営業力もあり殆どのメンバーから慕われていましたが特定のメンバーと
の間に誤解があり関係が悪化した為、問題解決を図ろうとの意図で一旦営業現場
から距離を置くことになったのだと思います。
私は8年ぶりに営業拠点長になることに相当な覚悟をして初日を迎えました。
そこには60歳を過ぎてから特別枠で入社した営業力が高く人間的な魅力に溢れ
た女性や、凛とした佇まいが素敵でスポーツ万能な女性などがいました。
勿論営業力が高くインストラクションスキルが高い男性陣も何人もいました。
私は「この人たちの胸を借りて働きやすい職場を作ろう」と奮い立ちました。
結果、年間目標を達成し翌年の全国営業会議で表彰され、ダイヤ入りのバッチ
と本革の手帳カバーを頂きました。今でも大切に使っています。
2年目に入り様々な問題が発生して来ました。
やはり一筋縄にはいかないものです。
その上、戦略的な組織統合で3つの営業拠点が2つになると発表されたのです。
前年の業績結果は一番良かった私の拠点は人数が少なかったため統合される事
が決定しました。
この時ばかりは説明に来た本社営業トップに悔しくて納得いかず泣いて抗議を
してしまいました。
それは私自身のためではなく、頑張って来た拠点のメンバーに本当に申し訳が
立たなかったからです。
2022.10.27
約41年間の歩みNO.26
トレーナーになった頃はまだ拠点での新人研修だった為、全道各地の拠点に訪問し
研修を実施していました。
その後全道各地で入社した新人に札幌に集合し、ほぼ1ケ月間新人研修を受講して
もらうようになりました。
つまり札幌以外の新人は会社が借りた宿泊先から札幌の研修室に通うのです。
基本的に金土日は帰省し翌週月曜日にはまた集合という流れだったと記憶していま
す。(金曜日は現地の拠点に出社)
この頃、とても大事にしていたことがあります。
それは、「何故この業界に入ったのか」「何故この会社に入社したのか」
「この会社で何を実現したいのか」という3点を新人に問いかけた時に淀みなく
言語化できるようにロープレを徹底することでした。
これをマイストーリーの構築と名付け、多くの時間を費やしました。
このマイストーリーを構築することで生命保険営業をスタートする心構えができ、
生保営業マン(ウーマン)の軸ができるのです。
生命保険営業の仕事は本当に厳しい仕事です。
形のある商品を販売する場合にはお客様の購入心理はゼロ地点からスタートする
のが一般的かも知れません。
しかし、生命保険を販売する場合はマイナス地点からスタートするのが一般的だ
と言われています。
何故なら、殆どの方が生命保険営業に対して誤解している場合が多いからです。
誤解を招くような販売方法が多かったのも事実かも知れません。
ですので、マイナスからゼロ地点まで上げて行くためには信頼できる営業マン
(ウーマン)なのか、次の話しも聞く価値があるのか・・・このマイストリー
がとても大切な要素になっていると捉えていました。
そして、営業マン(ウーマン)のメンタルブロックに対する最大の防御策とも
捉えていたのです。
2022.10.26
約41年間の歩みNO.25
充実した日々を送っているなかで全道のユニットマネージャー会議が札幌で開催
されることになり、私は管下のユニットマネージャーと共に出席しました。
私には事前に組織運営についてプレゼンするようにと指示がありましたので資料
を準備していました。
いざプレゼンしてみると今まで通って来た道のりが走馬灯のように脳裏をかすめ
支えてくれたメンバーに感謝の気持ちがグワッと湧いてきました。
日々採用活動をして仲間を増やそうと工夫してくれていること、新人には基礎を
身に付けさせるため毎朝早く会社に来てロープレをしてくれていることなどを、
スライドに書いてあることの上に想いを言葉に乗せて伝えました。
そのプレゼンを本社教育部の方が見てくれていたのでした。
その年の秋、私は道東の釧路から札幌に異動することになったのです。
しかも、その本社教育部の方が私の上長になりました。
職務は北海道にある営業拠点に入社する新人のトレーナーでした。
私は再度職務変更となり内勤職員となりました。
その時長男は高校2年生、二男は中学3年生。
私は半年間は転居せず釧路をベースに出張の形をとらせていただきながら仕事
に慣れて行きました。
そして、翌年3月には札幌に転居して本格的に単身赴任生活がスタートしたわけ
です。夫には息子たちのお弁当を毎朝作って持たせてもらい感謝しています。
義理の父母には毎晩の夕食を助けてもらったり息子たちの塾の送迎など大変お世
話になりました。
仕事が忙しいときは2ケ月に一度しか帰れない時もありましたが、トレーナーの
仕事は私の天職だと思うほど好きな仕事でした。
そして、新しく出会える新人の皆さんが「この仕事をして良かったな、この会社
に入社して良かったな」と思ってもらいたい!!
そんな想いが私を突き動かしていたのです。
2022.10.25
約41年間の歩みNO.24
新しい戦力が加わり私の組織は変化の兆しが見え始めました。
しかし、組織の現状は女性8割の世界でしたので簡単に馴染むことは出来
なかったと思います。
ですがベテランのお姉さまたちが生命保険営業について、商品の特徴につ
いて、契約保全の大切さについて、事務処理について多方面から応援して
くれました。
そして、丁度導入されていたロジカルに体系立てられたコンサルティング
手法を駆使し彼は見事な生保営業のスタートを切ったのです。
当時の私は男性拠点長の管下にいるユニットマネージャーという立場でし
たがユニット内の人数は20名いました。
更に組織を拡大して行くには私の右腕左腕が必要です。
既にユニット内にはユニットマネージャーが存在しておりましたが、いつか
私がこの組織を離れることになっても拠点長として任せられる人材を育てた
いと思っていました。
そこで新人ではありますが彼に期待をかけてみたのです。
数か月後には男性2名を採用し、コンサルティング手法を徹底的にトレーニ
ングし、新人育成に貢献してくれました。
その結果ユニットマネージャーに昇格してくれて私の組織は体制が整いつつ
ありました。
他にも私が事務員だった辛い状況の時に親しくなった元教員で博学の女性や
営業バリバリでスキルの高い優績者の女性、他外資系生命保険で活躍後に転
職して来た男性のユニットマネージャーに支えられて業績も陣容も右肩上が
りで成長して行きました。
私がユニットマネージャーをしていて一番遣り甲斐があって心から楽しめた
時期でした。
2022.10.24
約41年間の歩みNO.23
厳しい状況に一筋の光が見えたのが2004年の後半。
きっと無理だろうと半ばあきらめていた外車販売トップセールスマンが
私の組織への転職を考え始めてくれたのです。
実は私の高校時代の後輩であり、夫の野球仲間でもありました。
まだお子さんも小さく、これから教育費がかかる時期です。
私はだからこそ、生命保険業界にお誘いしたのです。
ご存知の方も多いかと思いますが、生命保険のビジネスは最低保障給与
はあるものの基本的にはフルコミッションの世界です。
しかも私が在籍していた会社は、契約が挙がれば挙がっただけの給与が
支払われました。つまり青天井なわけです。
彼は人脈も多く、営業力も高く、地頭も良い!まさに会社が求める人材
の要素を殆ど兼ね備えていたのです。
そして、2005年1月に入社が決定!!
私にとっては青天の霹靂!!!
ただ、嬉しくて小躍りしたくなる自分と、彼の人生を背負う責任に潰さ
れそうになる自分との葛藤もありました。
そして、私はその責任を全力で全うしようと心に誓ったのです。
彼に比べて人脈も営業力も地頭も低い私でしたが、責任感と行動力、何
より相手の話をしっかり聴くことは自分の強みだと思っていました。
そして、人としての器を磨き高めることを目指し各種の自己啓発を始め
たのです。
「心に描いた夢は必ず実現する」
今もこの言葉を信じて毎日チャレンジを続けています。