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2022.10.30

約41年間の歩みNO.29

イベント企画などの活動を評価してもらい社長賞をいただくことになりました。

六本木ヒルズで開催された記念パーティーに当時東京で就職していた長男と二人

で出席しました。

色々な部門で選ばれた方が家族を同伴し出席していました。

素晴らしい方々と素晴らしい料理が歓迎してくれました。

長男がスピーチで私のプライベートを暴露したりして恥ずかしい思いもしました

が、それだけ大人になったのだな、と感慨深かったです。

そして、その年の秋に東京本社への異動のオファーがあったのです。

流石に北海道から離れることについては多少の躊躇はありました。

ですが長男が東京で就職していたこと、三番目の姉が24歳で結婚してから埼玉

にずっと住んでいたことなども決めてになりました。

何よりも女性初のマネージャーとして営業教育部に配属になったことが嬉しかっ

たので私の想いを家族に伝え了解を得る事ができました。

本社に行くことは私の究極の願いでした。

「心に描いた夢は必ず実現する」を信じて来たことが実った出来事でした。

翌年1月に世田谷区烏山に引っ越し、私の東京ライフがスタートしたのです。

2022.10.29

約41年間の歩みNO.28

最終的には3つの営業所が2つの営業所になりました。

一番人数の少なかった私の営業所は半数づつ振り分けられたのです。

最後まで全員一緒にと願いましたが叶いませんでした。

私の業務は片方の営業所に入社する新人営業マン(ウーマン)の育成

でした。ユニットマネージャーは3名だったと記憶しています。

この頃一番記憶に残っているのは見込み客発見の一環でイベントを企

画し実行したことです。イベントと言っても全てを自分で企画したの

ではありません。市などで企画しているイベントを紹介してもらって

参加する形でした。

例えば、子供が自由に参加できる遊び場を各企業が提供するイベント

です。

私たちはお祭りをテーマにヨーヨー釣りなどの出店を出しました。

また、先に書いてもらっていた似顔絵をブースに展示したり、会社で

所有しているビーバーの着ぐるみを着たりして楽しんでもらいました。

また、アンケートを書いてもらって抽選もしました。

その他には市のマラソン大会にブースを出しました。

マッサージ店とタイアップしてランナーのケアをしてもらい喜んでも

らいました。

色々やってみましたが見込み客が増えたかといえばなかなか難しかっ

たというのが本音です。ですが、知名度アップには大きな貢献をした

と自負しています。

ごく限られた予算内でのチャレンジでしたが営業の方々と一緒にでき

たことがとても意味のあることでした。

提案を受け入れてくれた上長に心から感謝しています。

2022.10.28

約41年間の歩みNO.27

 アッと言う間に2年が経過し上長も変わりました。

次の上長も第百生命出身者でした。

どちらも私より年下の上司でしたが見識が高く人間性に溢れる素晴らしい方々

でした。

目標意識が高く常に会社に貢献しようと努力する姿に、私は共に成長したいと

心に決めていました。

そんなある日、上長から営業拠点長のオファーがあったのです。

返事は「YESかハイで」というニュアンスが伝わってきて、ほぼ即答状態だった

と記憶しています。

その営業拠点はとても難しい問題を抱えていました。

前任者は営業力もあり殆どのメンバーから慕われていましたが特定のメンバーと

の間に誤解があり関係が悪化した為、問題解決を図ろうとの意図で一旦営業現場

から距離を置くことになったのだと思います。

私は8年ぶりに営業拠点長になることに相当な覚悟をして初日を迎えました。

そこには60歳を過ぎてから特別枠で入社した営業力が高く人間的な魅力に溢れ

た女性や、凛とした佇まいが素敵でスポーツ万能な女性などがいました。

勿論営業力が高くインストラクションスキルが高い男性陣も何人もいました。

私は「この人たちの胸を借りて働きやすい職場を作ろう」と奮い立ちました。

結果、年間目標を達成し翌年の全国営業会議で表彰され、ダイヤ入りのバッチ

と本革の手帳カバーを頂きました。今でも大切に使っています。

2年目に入り様々な問題が発生して来ました。

やはり一筋縄にはいかないものです。

その上、戦略的な組織統合で3つの営業拠点が2つになると発表されたのです。

前年の業績結果は一番良かった私の拠点は人数が少なかったため統合される事

が決定しました。

この時ばかりは説明に来た本社営業トップに悔しくて納得いかず泣いて抗議を

してしまいました。

それは私自身のためではなく、頑張って来た拠点のメンバーに本当に申し訳が

立たなかったからです。

2022.10.27

約41年間の歩みNO.26

トレーナーになった頃はまだ拠点での新人研修だった為、全道各地の拠点に訪問し

 研修を実施していました。

その後全道各地で入社した新人に札幌に集合し、ほぼ1ケ月間新人研修を受講して

もらうようになりました。

つまり札幌以外の新人は会社が借りた宿泊先から札幌の研修室に通うのです。

基本的に金土日は帰省し翌週月曜日にはまた集合という流れだったと記憶していま

す。(金曜日は現地の拠点に出社)

この頃、とても大事にしていたことがあります。

それは、「何故この業界に入ったのか」「何故この会社に入社したのか」

「この会社で何を実現したいのか」という3点を新人に問いかけた時に淀みなく

言語化できるようにロープレを徹底することでした。

これをマイストーリーの構築と名付け、多くの時間を費やしました。

このマイストーリーを構築することで生命保険営業をスタートする心構えができ、

生保営業マン(ウーマン)の軸ができるのです。

生命保険営業の仕事は本当に厳しい仕事です。

形のある商品を販売する場合にはお客様の購入心理はゼロ地点からスタートする

のが一般的かも知れません。

しかし、生命保険を販売する場合はマイナス地点からスタートするのが一般的だ

と言われています。

何故なら、殆どの方が生命保険営業に対して誤解している場合が多いからです。

誤解を招くような販売方法が多かったのも事実かも知れません。

ですので、マイナスからゼロ地点まで上げて行くためには信頼できる営業マン

(ウーマン)なのか、次の話しも聞く価値があるのか・・・このマイストリー

がとても大切な要素になっていると捉えていました。

そして、営業マン(ウーマン)のメンタルブロックに対する最大の防御策とも

捉えていたのです。

2022.10.26

約41年間の歩みNO.25

 充実した日々を送っているなかで全道のユニットマネージャー会議が札幌で開催

されることになり、私は管下のユニットマネージャーと共に出席しました。

私には事前に組織運営についてプレゼンするようにと指示がありましたので資料

を準備していました。

いざプレゼンしてみると今まで通って来た道のりが走馬灯のように脳裏をかすめ

支えてくれたメンバーに感謝の気持ちがグワッと湧いてきました。

日々採用活動をして仲間を増やそうと工夫してくれていること、新人には基礎を

身に付けさせるため毎朝早く会社に来てロープレをしてくれていることなどを、

スライドに書いてあることの上に想いを言葉に乗せて伝えました。

そのプレゼンを本社教育部の方が見てくれていたのでした。

その年の秋、私は道東の釧路から札幌に異動することになったのです。

しかも、その本社教育部の方が私の上長になりました。

職務は北海道にある営業拠点に入社する新人のトレーナーでした。

私は再度職務変更となり内勤職員となりました。

その時長男は高校2年生、二男は中学3年生。

私は半年間は転居せず釧路をベースに出張の形をとらせていただきながら仕事

に慣れて行きました。

そして、翌年3月には札幌に転居して本格的に単身赴任生活がスタートしたわけ

です。夫には息子たちのお弁当を毎朝作って持たせてもらい感謝しています。

義理の父母には毎晩の夕食を助けてもらったり息子たちの塾の送迎など大変お世

話になりました。

仕事が忙しいときは2ケ月に一度しか帰れない時もありましたが、トレーナーの

仕事は私の天職だと思うほど好きな仕事でした。

そして、新しく出会える新人の皆さんが「この仕事をして良かったな、この会社

に入社して良かったな」と思ってもらいたい!!

そんな想いが私を突き動かしていたのです。