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2024.04.10

感謝日記4日目

今日嬉しい知らせがあった。
2年前から大阪で働いている二男にやっと彼女ができたらしい。
彼は現在31歳で7月には32歳になる。
札幌の大学を卒業し大好きな釣り具販売会社に就職し、最初の勤務地は横須賀だった。
大好きな釣り関係の仕事に就けて喜んで入社したが人間的に未成熟過ぎたのだろう、次第に元気を失って行った。
ただ、彼女がいる事だけが救いだった。
時が経ち彼は千葉に転勤となった。
結婚の約束をしており、当時東京で働いていた私に彼女を紹介したいと連絡が来た。
勿論私は会う準備万端で待っていたが、待てど暮らせど連絡がない。
暫くすると、やっと連絡が来た。
「お母さん、病院の先生に会ってくれない?」と・・・
私は何のことか分からず問い質すと、心が病んで通院しているとのことだった。
その病院の女医が母親である私に会いたいと言っている。
私は指定された日時に千葉にある病院で女医と対面した。
「お母さんは離婚されているんですよね?」と切り出された。
「はあ?誰がそんな事を言ったのですか?」
「えっ?そうじゃないんですか?」
女医は二男が言った言葉を断片的に切り取り、二男の心の病が母親の私のせいだと言いたかったようだ。
女医の誤解は解けたが二男は何に心をかき乱されてしまったのか・・・
病院を後に歩きながらポツポツ話してくれて原因がわかった。
彼女にフラれたのだ。しかも人格を全否定されるほど彼は傷ついていた。
私は彼と暫く一緒にいようとしたが一人になりたいと言われ、私は一人東京に戻った。
部屋に戻るなり電話が鳴った。
二男は「もう死にたい。死んで終わりにしたい。どうしよう・・・」と繰り返すばかりだった。
私は電話を切ってはまずいと思い、沈黙が続いてもず~っと次の言葉が出るまで待ち続けた。
恐らく3時間は経っていただろう。
そこからまた、会話が始まった。少し気持ちが落ち着いたようだった。
もう大丈夫だ。きっと大丈夫。
私は二男の生きる力を信じた。
あれから7年経過し、やっと二男を受け入れてくれる彼女ができたらしい。
昨日の夜、夫に電話連絡があり、8月のお盆過ぎに彼女と一緒に釧路に来るそうだ。
私もスケジュールを調整して会いに釧路に帰ろう。
たとえ、今後結婚までたどり着かなくても今の二男の彼女になってくれて、ありがとう!
心から感謝したい。

2024.04.09

感謝日記3日目

今日も母の家に行って来た。つまり実家だ。
実家の隣に住んでいる4番目の姉に車で迎えに来てもらった。
今日は朝から暴風雨だったので徒歩は厳しいな~と思っていたらお迎えの連絡をくれた。
母のお世話だけでも大変なのに・・・と思いつつお言葉に甘えてしまった。
4番目の姉と5番目の私は性格も違えば頭の出来も違う。
血液型も姉はAB型で私はA型だ。
小さい頃はよく喧嘩をしたものだ。
姉は教育大学を卒業し小学校の教諭になった。
美人で頑張り屋さんで自慢の姉だ。
50歳頃に早期退職して以来いわゆる専業主婦をしている。それには訳があるのだが・・・
その姉が母のお世話をずっとしてくれている。
母は同じことを何度も言う。「今日の天気は酷いね」と。
お天気の日も今日のような本当に酷い天気の日も・・・
リビングから見える光景はいつも同じだが多少なりとも変化を求めているようにも思う。
あんなにしっかり者だった母が子供のようになってしまう姿はあまり見たくはなかったが、姉は毎日お世話をしてくれて
いるのだ。
本当に感謝だ。
私には到底真似できない。
今の私にできることは情けないが、月に一度は釧路に帰って姉の話し相手になることくらいなのだ。

2024.04.08

感謝日記2日目

今日は家族に対する感謝を書こうと思う。
私がず~っと働いていられるのは、やっぱり家族の理解があったからだと思う。
「本当にありがとうございます。」
結婚したての頃、高校時代の同級生の男子に「まだ仕事しているのか?可哀そうだな」と言われたことがある。
その時は何を言われているのかピンと来ていなかったが、なるほど・・・そういう時代だったのだ。
家計が苦しくて働かざるを得ないと思われていたらしい。
今思えばおかしな話だが、そういう(専業主婦)選択もあったということだ。
何と言っても専業主婦ほど難しい仕事はないと思い込んでいた私には逆立ちしてもそんな選択はありえなかった。
そんな私も長男が高校2年生、二男が中学2年生の時に単身赴任の辞令が出た時には多少躊躇した。
最初の半年は引っ越しせずに釧路と札幌を出張を絡めながら往復する働き方をさせてもらった。
徐々に札幌を基盤にするようになり、更に7年後には東京へ。
現在は札幌に戻ったが単身赴任は継続中だ。
現在夫も現役で勤務しているが夢だったトレーラーハウスを昨年購入し来年あたりにはカフェをオープンするらしい。
生きているうちにお互い好きなことをしたいと願う。健康でいられますように・・・









2024.04.07

コーチング&ヒューニング

今日はAM9:00~PM7:00までヒューロラボの「コーチング&ヒューニング21期生講座」のトレーナーとして参加した。
トレーナーと言っても講義をするわけではなく、ブレイクアウトROOMでのワークを観察するというのが主な役割だ。
今回の受講生はオンライン参加も多く、トレーナーとして学ぶことも多い。
今日のワークは無料体験セッションだ。
100分間の無料体験セッションは私にとって一番印象深いセッションだ。
人の心理をよく考え抜いた流れになっている。
セミナーをするにしてもパーソナルコーチングの経験はまだまだ必要だ。
改めて明日からの活動を考える時間となった。

2024.04.07

感謝日記1日目

今日から日々の感謝を記して行くことにする。
感謝することはいくらでもあるが改めて考えると、いかに自分自身が多くの人に助けられて生きているのかと思い知らされる。ややもすると自分一人で今を生きているような錯覚に陥るがそんなはずはないのだ。
今日はまず、今年94歳になった母に感謝しようと思う。
私たち5人姉妹を産んで育ててくれたのだ。
母は現在要介護3の認定を受けながら自宅で過ごしている。母の自宅の隣に住んでいる4番目の姉が食事、入浴など日常のお世話をしてくれている。3年前に父が亡くなってからというもの、すっかり依存心が強くなったが、何故か気位が高くディサービスなどは完璧に拒んでいる。だが、最近はやっと毎週1回1時間の訪問介護だけは受け入れているようだ。
すっかり痩せてしまい、耳も遠く、以前の面影を感じさせない風貌になってしまったが私にとって母は母なのだ。
私が27歳で結婚するまでは家事全般を免除してくれた。(!?!)
31歳での出産後は働く母親としての私を全面的に応援してくれた。
今は認知症も少しづつ進んでいるようで全てがクリアではないが会話は通じる。(耳が遠いためトンチンカンだが)
その母がいつも言うのは5人姉妹の家族全員と沖縄に旅行したいということ。
10年以上前に甥の結婚式で訪れた沖縄の街が気に入っているのだ。
せめてもう少し元気なうちに一緒に旅行できたら良かったのに。。。
今では味覚も変わってしまってお気に入りの沖縄料理も顔を顰めて食すことになるかもしれない。
だが、母が望めば、できないことはないとも感じている。