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2024.04.12
感謝日記6日目
今日はコーチング&ヒューニングの同期生み~なサンとランチを共にした。
彼女の実家は札幌だが通常は茨城県のつくば市で仕事をしている。
今回はお母様の手術で帰省しているのだ。
折角のチャンスなのでランチにお誘いした。
家族のこと、仕事のこと、コーチング&ヒューニングのこと・・・食後には移動してミルクコーヒーを飲みながら合計4時間くらいおしゃべりした。
何かず~っと前から知り合いだったように錯覚してしまうがオンラインの画面越しで知り合ってまだ1年なのだ。
いつもは全く違う地域で、全く違う仕事をしているけれど、コーチング&ヒューニングという学びを通して一気にお互いの距離が短縮される。そして共通の言語が生まれるのだ。
彼女は私よりもずーっと年下だが理系のためか論理的思考ができる素敵な女性だ。
そして、自分の軸をもっている。
コーチング&ヒューニングの講座で学んだのは知識でありスキルであり人としての在り方だ。
その上素晴らしい人たちとの出逢いも漏れなく付いてくる。
何て贅沢な学びだろう。
今日は素敵な時間を共にしてくれた、み~なサンへの感謝と、み~なサンに出会う機会を与えてくれたコーチング&ヒューニングに感謝したい。
写真は「寿司と炉端焼き 四季花まる 北口店」のランチ
2024.04.11
感謝日記5日目
来週月曜日15日から北関東学院のキャリアコンサルティングが再開する。
私は2022年4月30日の誕生日に1回目の開業届けを提出した。その時の屋号は「札幌東 career compass」だった。
すぐに前職の上司から紹介されて、全国展開している営業会社に提案の機会をいただいた。
何度も練り直した提案書を持参し先方の常務と営業部長にプレゼンをした。
結果は見事に撃沈だった。
提案内容は先方のニーズには合致していたとは思う。
だが先方のウォンツを得ることができなかったのだ。
独立とはそんなに甘くはないと神様が激を飛ばしてくださったのだと自分に言い聞かせた。
その後パーソナルでのコーチングや個人講座など少しづつ活動をしていた。
その時、思い出したのがキャリアコンサルタント養成講座で同期だったIさんのことだ。
彼は職業訓練校で学院長をしながらキャリアコンサルタントの資格を取得していた。
彼にLineで近況報告をしたところ彼が学院長をしている職業訓練校でキャリアコンサルティングをスポットでしてみないか?と誘ってくれた。
私は兎に角実績が欲しかったのでYESと即答した。
月に2人ほど担当させてもらって3ケ月ほど経ったある日突然電話が鳴り「キャリアコンサルタントが不足している。助けて欲しい。」とIさんから電話で依頼され、2023年4月からの業務委託が決まった。
それから1年経過した。
今ではキャリアコンサルティング、職業人講話、能力開発講習も担当させていただいている。
まだまだ道半ばではあるが今の私がこうしていられるのはIさんのお陰であると心から感謝している。
少しづつ色々なところからお仕事をいただけるようになって来たが、北関東学院とはこれからも末永くお付き合いさせていただきたいと願っている。
2024.04.10
感謝日記4日目
今日嬉しい知らせがあった。
2年前から大阪で働いている二男にやっと彼女ができたらしい。
彼は現在31歳で7月には32歳になる。
札幌の大学を卒業し大好きな釣り具販売会社に就職し、最初の勤務地は横須賀だった。
大好きな釣り関係の仕事に就けて喜んで入社したが人間的に未成熟過ぎたのだろう、次第に元気を失って行った。
ただ、彼女がいる事だけが救いだった。
時が経ち彼は千葉に転勤となった。
結婚の約束をしており、当時東京で働いていた私に彼女を紹介したいと連絡が来た。
勿論私は会う準備万端で待っていたが、待てど暮らせど連絡がない。
暫くすると、やっと連絡が来た。
「お母さん、病院の先生に会ってくれない?」と・・・
私は何のことか分からず問い質すと、心が病んで通院しているとのことだった。
その病院の女医が母親である私に会いたいと言っている。
私は指定された日時に千葉にある病院で女医と対面した。
「お母さんは離婚されているんですよね?」と切り出された。
「はあ?誰がそんな事を言ったのですか?」
「えっ?そうじゃないんですか?」
女医は二男が言った言葉を断片的に切り取り、二男の心の病が母親の私のせいだと言いたかったようだ。
女医の誤解は解けたが二男は何に心をかき乱されてしまったのか・・・
病院を後に歩きながらポツポツ話してくれて原因がわかった。
彼女にフラれたのだ。しかも人格を全否定されるほど彼は傷ついていた。
私は彼と暫く一緒にいようとしたが一人になりたいと言われ、私は一人東京に戻った。
部屋に戻るなり電話が鳴った。
二男は「もう死にたい。死んで終わりにしたい。どうしよう・・・」と繰り返すばかりだった。
私は電話を切ってはまずいと思い、沈黙が続いてもず~っと次の言葉が出るまで待ち続けた。
恐らく3時間は経っていただろう。
そこからまた、会話が始まった。少し気持ちが落ち着いたようだった。
もう大丈夫だ。きっと大丈夫。
私は二男の生きる力を信じた。
あれから7年経過し、やっと二男を受け入れてくれる彼女ができたらしい。
昨日の夜、夫に電話連絡があり、8月のお盆過ぎに彼女と一緒に釧路に来るそうだ。
私もスケジュールを調整して会いに釧路に帰ろう。
たとえ、今後結婚までたどり着かなくても今の二男の彼女になってくれて、ありがとう!
心から感謝したい。
2024.04.09
感謝日記3日目
今日も母の家に行って来た。つまり実家だ。
実家の隣に住んでいる4番目の姉に車で迎えに来てもらった。
今日は朝から暴風雨だったので徒歩は厳しいな~と思っていたらお迎えの連絡をくれた。
母のお世話だけでも大変なのに・・・と思いつつお言葉に甘えてしまった。
4番目の姉と5番目の私は性格も違えば頭の出来も違う。
血液型も姉はAB型で私はA型だ。
小さい頃はよく喧嘩をしたものだ。
姉は教育大学を卒業し小学校の教諭になった。
美人で頑張り屋さんで自慢の姉だ。
50歳頃に早期退職して以来いわゆる専業主婦をしている。それには訳があるのだが・・・
その姉が母のお世話をずっとしてくれている。
母は同じことを何度も言う。「今日の天気は酷いね」と。
お天気の日も今日のような本当に酷い天気の日も・・・
リビングから見える光景はいつも同じだが多少なりとも変化を求めているようにも思う。
あんなにしっかり者だった母が子供のようになってしまう姿はあまり見たくはなかったが、姉は毎日お世話をしてくれて
いるのだ。
本当に感謝だ。
私には到底真似できない。
今の私にできることは情けないが、月に一度は釧路に帰って姉の話し相手になることくらいなのだ。
2024.04.08
感謝日記2日目
今日は家族に対する感謝を書こうと思う。
私がず~っと働いていられるのは、やっぱり家族の理解があったからだと思う。
「本当にありがとうございます。」
結婚したての頃、高校時代の同級生の男子に「まだ仕事しているのか?可哀そうだな」と言われたことがある。
その時は何を言われているのかピンと来ていなかったが、なるほど・・・そういう時代だったのだ。
家計が苦しくて働かざるを得ないと思われていたらしい。
今思えばおかしな話だが、そういう(専業主婦)選択もあったということだ。
何と言っても専業主婦ほど難しい仕事はないと思い込んでいた私には逆立ちしてもそんな選択はありえなかった。
そんな私も長男が高校2年生、二男が中学2年生の時に単身赴任の辞令が出た時には多少躊躇した。
最初の半年は引っ越しせずに釧路と札幌を出張を絡めながら往復する働き方をさせてもらった。
徐々に札幌を基盤にするようになり、更に7年後には東京へ。
現在は札幌に戻ったが単身赴任は継続中だ。
現在夫も現役で勤務しているが夢だったトレーラーハウスを昨年購入し来年あたりにはカフェをオープンするらしい。
生きているうちにお互い好きなことをしたいと願う。健康でいられますように・・・