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2022.10.08

約41年間の歩みNO.7

 営業経験ゼロの私が営業拠点長になり年上の生保レディと共に無謀な挑戦がスタートしました。

私の上長が居るオフィスとは車で10分くらいの距離だったので毎日直接活動報告をしに面談してもらっていました。

上長の私への関りはコーチングそのものでした。

今から27年前のことです。

「どういう組織にしたいのですか?」

「そういう組織にするために、何が必要ですか?」

「必要なものを得るために、どんなアイディアがありますか?」

「アイディアの中から今一番重要だと思えるのは何ですか?」

「それをやるために障害になることはありますか?」

「何から始めますか?」

「それをした時にどんな気持ちでしたか?」

などなど・・・

私は毎日自分で言語化した行動計画を実践しては報告し、また内省を促され自問自答しながら計画を進めて行きました。

その計画の一つが職域訪問です。

当時期間限定で一定の病院での団体保険募集が解禁されており私は職域担当者数名と毎日同行訪問で営業活動を一緒に実施すると決めました。

契約が決まれば毎日朝礼で結果報告してもらいグラフに赤やピンクのバラを貼って称賛しました。

(過去の営業オフィスのあるあるですね!)

私は営業担当者と一緒に行動することで心の距離を縮めたいと考えていたのです。

一定の成果が出ていたので上長に報告した後の問です。

「その活動は拠点全体にどのような効果をもたらしましたか?」

・・・ああ、確かに・・・

暫く答えることができませんでした。

職域担当者数名との営業活動に必死だった私は拠点に居る時間が少なくなり他の営業担当者への配慮に欠けていたことに気が付いたのです。

2022.10.07

約41年間の歩みNO.6

 私は35歳の夏に営業拠点に落下傘部隊の如く営業拠点長として赴任しました。

その時の長男の年齢は3歳半で二男が2歳。

オファーを断るという術を持てなかった私は当然のように引き受けます。

着任時の陣容は12名だったと記憶しています。

事務員さんも含め、ほぼ全員が年上の人生経験豊富な女性ばかり・・・

営業拠点名は花園支部!(ある意味、本当に花園でした。。。)

完全アウェイでのスタート!

着任前の研修もない状態だったので何から始めたら良いかもわからず・・・

ただただ一人ひとり個別面談をして話を聴くことに徹しました。

無我夢中で話を聴いているとアッと言う間に夜の8時9時に・・・

ですが不思議と充実感に溢れていました。

ここから私の孤軍奮闘のドラマが始まりました。

そして、この時の上司の私への関りこそがコーチングだったのです。

2022.10.06

約41年間の歩み NO.5

 生命保険営業は金融庁に登録されて初めて保険募集ができる仕事です。

私が入社した頃は初級過程試験と言っていましたが現在は一般過程試験と言います。

その一般過程試験を受験する前に所定の研修を受ける必要があります。

その研修をする教育担当という業務に就いたのが入社8年目のことでした。

私は一応教員免許を取得していたので人に何かを教えることに抵抗はなく、むしろ天職と思っていたほどです。

全国では事務職から女性が教育担当に次々に登用されて行きました。

立場として事務職でもない、営業職でもない、ちょっと中途半端なポジションだったかなと思います。

私はこの業務を担当し、より営業の方々と密接に関わり、生命保険の本質を深く学んで行きました。

この業務は通算6年半担当しましたが、この間に私は息子を二人出産しました。

産前6週間、産後8週間の休暇は専業主婦を経験したことのない私には毎日がパラダイスでした。

産休明けにすぐ職場復帰しましたが、私の両親も夫の両親も夫も子育てにとても協力してくれました。

その協力がなければ家庭と仕事の両立は困難を極めていたことでしょう。とても感謝しています。

毎朝二人の息子を車に乗せて託児所に預け、残業を終えてから実家に迎えに行くルーティーンが何年続いたでしょうか。

今となっては懐かしい思い出です。

そんな日々が激変したのが私が35歳の夏でした。

2022.10.05

約41年間の歩み NO.4

職場での人間関係が少しづつ好転して行った私は、ますます仕事に打ち込みました。

新しく担当したのは新契約という業務でした。

営業の方々が夜遅くまで活動してお預かりして来た新しい契約申込書を査閲して本社に

送付する業務です。

25日の締め切り前3日間は山のように積まれた申込書を目の前に脇目も振らず査閲

して気が付いたらいつも夜が明けていました。

家で2時間ほど仮眠して、また会社へ・・・

今でしたら労働基準監督署が黙ってはいないと思いますが当時はよくある話だったと

思います。

今思えば、その頃の私はまだまだ勘違いしている所があり、年配の営業担当の方々に

どうでも良いような申込書の不備を指摘して煙たがられていたように思います。

私はただ、生命保険という社会的に意義のある商品を販売している以上はどんなに

些細な不備も見逃してはいけないと使命感に燃えていたのです。

今ではオンライン面接や端末での申込みなど営業の形が大きく変わりましたが当時は

紙媒体が殆どで営業の方々は大きなカバンを2つも3つも持ち歩き、本当に大変な

状況のなか、ご契約を預かって来てくれました。

そういう営業の方々の苦労のお陰で私はお給料をいただけていることだけは理解して

いたつもりです。

もっと感謝の気持ちを言葉で伝えておけば良かったと今更ながらに反省しています。

2022.10.04

約41年間の歩み NO.3

虐めにあっていた私は自分で自分を認めることができず、どんどん卑屈になって行きました。

ですが元来負けず嫌いな私は周りに悟られないよう仕事を我武者羅に頑張ることで精神を保っていたと思います。

そんな状況が続いていましたがある時パートで入社して来た年上の女性が私を支えてくれました。

昼食休憩も一緒に過ごしているうちに私は彼女に信頼を寄せ、自分の想いを語っていました。

彼女はただただ黙って私の語りを受け止めてくれました。

数日そのような状況が続いた後、彼女はポツポツと私に問いかけてくれるようになりました。

私自身の将来のこと、理想の組織、仕事に対する想い、何故虐めに遭ったと思っているかなど・・・

それまでの私は自分自身を振り返ることもして来なかったことに気が付きました。

よく考えると、彼女は決して答えを求めては来ませんでした。

ただただ、私自身と向き合ってほしいと思って問いかけていたと後日教えてくれました。

時間はかかりましたが彼女のお陰で凍り付いていた私の心が溶け出し職場の仲間に対して

素直な態度で接する事ができるようになりました。

人間関係でのトラブルはどちらかが100%悪いなんてことはないと思っています。

相手が100%悪いように見えても、相手に対してちょっとした配慮が欠けていたかも知

れない。伝えたつもりでも伝わっていなかったかも知れない。

意思の疎通は難しい。

だからこそ意識して人に接して行きたいと彼女に教えてもらったと思っています。