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2022.10.13
約41年間の歩みNO.12
私の生命保険会社勤務での41年間の中で最もイヤだったこと。
それは監査を受けることでした。
今では完全に予告監査となっており、いつ入るかわかっています。
ということは、完全に事前に調べられているので誤魔化し(?)
ができないってことです。
ですが十数年前までは、ある朝突然どこかで見たことがあるような
おじ様がオフィスの前に立っていて、心底驚いたものです。
当時はその時に見つかったものが勝負の分かれ目となり、何かを
しくじると(修正していなかったり、裁断していなかったり・・・)
支社全体に大迷惑をかけてしまう。。。
なので、いつ来てもいいように毎日しっかり準備していれば良い
だけで、心配することでもないとは心ではわかっていても何故か
毎日緊張していました。
特に緊張するのは毎週やってくる日曜日の夕方。
サザエさん症候群というのでしょうか。
心が妙にザワつきました。
そして、当時の上長が教えてくれたこと。
本社監査は大体月曜日の朝に入るから前泊で市内のホテルに宿泊
しているはず。知人を装ってホテルに電話をかけて偵察もしてい
たなあ。
しかも入ってからは夕食にお誘いしたり、コーヒーを出したり、
あの手この手で点数を上げようと必死だったことを思い出します。
もう一つ・・・
今から35年くらい前のこと。
地方支社に財務局監査がいきなり入った!!!
みんな目が飛び出るほど驚き、狼狽えました。
その時、若手男性拠点長がロッカーを背に両手を広げ「ここは
勘弁してください。」と監査官に懇願している様子が私の目に
飛び込んできました。
いけいけどんどん系の拠点長だったので誰しもが「やばい・・・」
と感じていたはずです。
しかし、そんな懇願を許してくれるはずもなくロッカーは監査官
の手によって開けられました。
その時に飛び込んできた光景は・・・
何と!ロッカーの中いっぱいに日本酒が格納されていたのです!
私は不謹慎にも笑ってしまいました。
監査と聞くと今でもドキッとします。と同時に、このお茶目な
映像が私の脳裏に焼き付いて離れません。
2022.10.12
約41年間の歩みNO.11
いつ頃までだったでしょうか。
事務員の時は毎月会費を給与天引きで支払い、冬には皆でスキーに
行ったり、 夏にはジンギスカンパーティーをしたり、しょっちゅう
飲み会もあったなあ。
生命保険協会のボーリング大会に出場したり、ソフトボール大会で
優勝したりもしたっけ。
拠点長になってからは拠点のメンバーと親睦会で温泉に行ったり、
ちょっと離れた公園でバーベキューをしたり・・・
仕事だけではない素のお付き合いができました。
そして、毎年恒例の招待旅行!!
一定期間に一定の業績を挙げた方が招待される旅行がありました。
しかも決まって温泉街。
大宴会場での夕餉には時間をたっぷり使って練習して来た拠点対抗
の催し物が次々と披露されます。
そこで繰り広げられる今では信じられない光景!
ある時はお腹が出っ張った年配の男性拠点長がお化粧バッチリで腰
を振ってフラダンスを踊ったり、かつらを被ってお目目パチパチの
お姫様になったりしていました。
そういう衣装を調達するのも営業の方々だったと記憶しています。
凄いエンターテーメントを観せていただきました!
古き良き時代の懐かしい思い出です。
2022.10.11
約41年間の歩みNO.10
研修から戻った私は神戸の状況を気にしつつ、私たちにできること
を必死にやろうと決心しました。
会社全体が業界全体がそんな気運だったと思います。
毎年与えられる年間目標はやって当たり前。できそうにない時は、
新しい人を採用して年間目標をやりきる!これが鉄則でした。
私はメンバーの協力を得ながら徐々に採用にも力を入れて行きまし
た。
当時はまだ男性の入社は不可で幼い子供を養育中のお母さんが次々
と入社してきました。
拠点に夕方子供を連れて戻って来るメンバーが居て私も子供たちと
仲良くなれましたし、家庭の状況も把握することができました。
そして楽しい思い出として一泊旅行がありました。
支社全体の招待旅行だったり、拠点独自の旅行だったり・・・
今はない古き良き時代の風習でした。
2022.10.10
約41年間の歩みNO.9
少しづつ営業拠点長の仕事が慣れて来て毎日事件はあるものの楽しさや遣り甲斐を
感じるようにもなってきました。
当時、東京の渋谷区野沢に自社の研修センターがあり全国新任拠点長研修も実施さ
れていました。
研修センターは一人3畳ほどの個室が与えられ机とベッドでギリギリだった記憶が
あります。
私が拠点長になったのが1996年8月1日で、その研修があったのが1997年1月。。。
実際何日から始まって何日までだったかは忘れてしまいましたが。
その日はいつも通り研修所の大食堂でテレビの画面を観ていました。
そして、そこに信じられない光景が広がっていたのです。
そう、1997年1月17日(火)5時46分に発生した阪神・淡路大震災。
大火災の様子がテレビ画面いっぱいに広がっていました。
そこに泣き崩れる同期の女性が・・・
神戸の方だったのです。同居している老齢のご両親に連絡がとれず神戸まで帰る
手段も見つからない状況でした。
何とか冷静になってもらい研修所の教官の指示の元、彼女は帰るための準備をし、
他のメンバーは研修を再開しました。
この震災での死者は6,434名。多くの尊い命が失われました。
多くの保険会社で保険金の支払いが迅速に行われたと思います。
ただ、ここで考えさせられた事があります。
万が一、ご遺族の方が保険加入の事実を知らなかったら・・・
万が一、ご夫婦一緒に亡くなってしまったら・・・
保険という商品は請求があって初めて支払いの手続きに入ります。
もし、誰からも支払い請求がなかったら・・・
誰にもお支払いすることができません。
今ではネットで簡単に生命保険に加入できる時代になりました。
でも、信頼できる保険担当者が居てくれたら、万が一受取人が亡くなっていたと
しても亡くなった受取人の相続人を必死で探して手続きしてくれるはずです。
それが本当の生命保険の仕事だからです。
2022.10.09
約41年間の歩みNO.8
拠点全体のマネジメントができていないと気付いた私はできるだけオフィスに居て
1人ひとりの状況を観察し声かけをして行きました。
毎日試行錯誤を続けながらも不思議と辞めたいと思わなかったのは仕事が好きだった
から。そして、癖の強いメンバーばかりでしたが営業力があって人としても魅力的な
方々だったからでしょう。
仕事上も人生においても勉強させていただく事が山のようにありました。
勿論かなりの洗礼も受けました。既に詳細は忘れてしまっていますが・・・
そして、その頃の私が身に付けた特技があります。
私のすぐ近くで私の悪口を言われても全く聞こえなくなりました。
ですが、凄く遠く離れた所に居るメンバーが何かに困っている様子は手に取る様に
わかり、会話も聴こえるのです。
これ、本当です!
今はこの能力も少し衰えてしまっていますが・・・