2022.11.10
東京での入院生活は3週間にわたりました。
札幌では一番上の姉が洗濯などをしてくれました。そして私の二男も当時札幌
で大学生だったので色々助けてくれました。
東京では三番目の姉が埼玉に居るので洗濯などをしてくれました。そして私の
長男が東京に居たので色々助けてくれました。
会社の方々にもご迷惑をかけた上にお見舞いに来てもらったり、仕事の上でも
種々助けてもらったりしました。
本当に感謝です。
喀血そのものは点滴や止血剤で止まりましたが原因の究明のため、あらゆる検
査を受けました。
肺のレントゲンやCTを撮影しましたが悪い物は見つかりませんでした。
この病院でも気管支内視鏡は口からでしたが恐れていたわりにはスムーズに検
査を受けることができました。慣れでしょうか・・・?
ただ先生が右肺の静脈が細くなっている部分があって、そこから出血したよう
だと仰っていました。
これが生まれ持った奇形なのか後からのものなのかは判明しないが狭窄した血
管を拡張する手術をしましょうと計画してくれました。
そして手術日を迎えました。
生まれて初めての手術ということで心臓がドキドキしていましたが部分麻酔な
ので意識はハッキリしています。
鼠径部からカテーテルを狭窄している部分まで通し拡張させました。
音や感触などがハッキリ聞こえるし感じるし・・・
ですが生々しいけど冷静になって行く自分がいたのです。
手術は無事成功し日を追うごとに元気になっていきました。
定期的に検査を受けてはいますが正式な病名は何だったのか未だに不明。
昨年もまさか喀血?と思って夜中に病院に行きましたが私の勘違いだったよう
でした。
やはり健康が一番です。今まで仕事仕事と身体を酷使して来たので「少し休み
なさい」ということなんだと自分に言い聞かせていました。
2022.11.09
札幌での入院は2週間くらいだったと記憶しています。
一番嫌だったのが気管支内視鏡検査!
もう死ぬかと思うほど苦しい思いをしました。
口から内視鏡を入れて気管支の状態を診るわけですが肺に空気が全くはいらない。
と、思ってしまうのです。
実際は本当に細い管なので空気は入っているはずなのですが・・・
一度鼻からも入れたことがあったのですが口から入れるよりは楽だったような・・
色々検査をしましたが結局原因はわからず。
退院後も定期的に検査をしてもどこも悪い所がみつからない。
そして、2年半後の東京でまた同じ状況になったのです。
会社のトイレで異変に気付いた私は即病院に行き手当を受けました。
ですが止血剤を処方してくれるのみ。
そのまま帰宅してベッドで横になり起き上がった瞬間にまたまた大量喀血!
これは前回より酷いと感じた私はまたまた救急車を呼ぶことに。
暫く待つこと20分くらいだったでしょうか。
救急車に運ばれた後が大変でした。
受け入れ先が全くみつからないのです。
救急隊員の方々に励まされながら何時間も救急車の中で横たわっていました。
その時やっと受け入れてくれる病院が見つかり救急隊員の方々と喜びを分かち合
うことができました。
その後の流れは札幌の時とほぼ一緒です。
しかし驚いたことがありました。
看護師長が「現在大部屋は満室です。個室は空いていますが一泊〇万円です。
どうしても大部屋が良いということでしたら他を探してもらうしかありません。」
え~!この状態で他の病院探す?
と心の声・・・
そりゃあ、個室に入るでしょう。入りますとも。
「大部屋が空いたら私を移動させてくださいね。」
とお願いを忘れませんでした。
2022.11.08
東京ライフ3年目に入ったある日、会社のトイレで異変を感じました。
実は札幌勤務の時にも同じ経験をしていたのです。
出張で旭川営業所に行き朝礼後鼻血が止まらなくなりトイレに籠りました。
かなりの時間止血を試みましたが止まらず、タクシーで病院に行って診ても
らい点滴で様子をみることに・・・
やっと少し落ち着きました。
先生から札幌に帰るなら今のうちに帰った方が良いと言われ、JRに乗って札
幌へ。
部屋に着いた私は先生の言う通りに大人しくベッドに横たわり身体を休めま
した。
夜中になってお腹が空いた私は起き上がろうとしたその瞬間・・・
大量の喀血をしてしまったのです。
吐血ではなく喀血。
つまり胃からではなく肺からの出血でした。
とんでもなく出る血を見て自分の身体が自分のものではないような不思議な
感覚になったのを昨日のことのように覚えています。
だんだん息ができなくなり歩くのもやっとの状態になり命の危険を感じた私
は人生で初めて救急車を呼びました。
救急車が到着するまでの時間は途方もなく長く感じられました。
やっと到着した救急隊員に抱きかかえられ救急病院へ。
コロナ禍にある今だったら救急病院での受け入れも困難だったと思います。
それでも何件か断られながらも大きな病院で受け入れてもらえました。
病棟に入る前の待機室のベッドの上に横たわる私にいきなり現実が・・・
看護師長が「長谷川さん、入院になりますが個室と大部屋とどちらが良いで
すか?」・・・
最初は何を質問されているのか呑み込めずキョトンとしてしまいました。
業を煮やした看護師長は再度「個室は差額ベット代がかかりますが大部屋は
かかりません。どうします?」
やっと理解できた私は次の瞬間「差額ベットだといくらですか?」と訊いて
いました。
この時もずっとベットの上で横になりながら。
そして貧血で真っ青になりながら・・・
現実は厳しいとこの時も思い知らされたのでした。
2022.11.07
生命保険業界のトレーニングの代表的なものにロープレがあります。
勿論、覚えたトークをただひたすらお客様に捲し立てるなんてことがあっては
いけませんがある程度商談の流れをイメージして練習しておく必要があります。
そして予想されるお客様の質問や断りに対しても何通りかの引き出しをもって
いると安心して対応できます。
そして、目で見える商品と違って、将来の安心を買っていただくには商談の中
で一瞬疑似体験していただくことも必要になって来ます。
そのお客様に合った事例を用いたりする過程で営業担当者は自分の言葉に想い
を乗せて伝えなければお客様の心には届きません。
その為にも、日頃から知識としてインプットしたものを自分の言葉でアウトプ
ットするロープレが有効なのです。
ただ、このロープレを好きな営業担当者は殆どいません。
できれば避けて通りたいと思っています。
日頃の担当職務を超えた本社メンバー5人でプロジェクトを組み、拠点にロー
プレ文化を定着させるしくみとして全国ロープレ大会を企画しました。
私の所属していた教育部が予算を立てることになりプロジェクトがスタートし
たのです。
まずはテーマの決定です。
生命保険営業のプロセスは大きく分けて、アポイント、アプローチ、ファクト
ファインディング、プレゼンクロージングとなります。
ファクトファインディングとはお客様のニーズがどこにあるのか、将来の夢は
どのようなものなのか、そしてお客様の正確な現状をお聴きする段階です。
プロジェクトが発足してから5年間継続しましたが毎年テーマを変えて開催し
ました。
初年度はアプローチだったと記憶しております。
拠点代表決定ロープレ大会、地区本部代表決定ロープレ大会、そして全国NO1
を決める全国ロープレ大会に駒を進めて来た全国7名の代表者を迎え第1回目
の全国大会を烏山区民会館で開催しました。
本来はカナダ大使館での開催を検討していましたが会場が空いておらず断念し
たのでした。
ですが烏山区民会館のステージも広く立派でした。
全国から集まったファイナリストは本社スタッフが務めた顧客役に対応しなが
ら、見事なパフォーマンスを発揮していました。
また、拠点から応援メッセージを送ってもらいロープレの前に上映しました。
楽しいメッセージやらグッと来るメッセージやら笑っちゃうメッセージやらで
拠点の特徴がとてもよく伝わってきました。
私は司会として一部始終を近くで観ることができ、とても学び多き1日でした。
2022.11.06
本社に入ってすぐにタイに出張しました。
生命保険業界にはMDRTという1927年に発足し卓越した生命保険・金融
プロフェッショナルが集う組織があります。
世界中の生命保険および金融サービスの専門家が所属するグローバルな独立
した組織です。
MDRT以外のメンバーも参加することができる自社MDRTエクスペリエンス
というミーティングがありスタッフとして参加したのです。
海外はアメリカ、カナダ以外には行ったことがなかったので凄く嬉しかった
です。しかも初のアジア圏!!
夜のパーティーに着る洋服などないなあ。。。
私はスタッフなので気にすることなどなかったはずなのに。
久しぶりにデパートに行ってワンピースとジャケットを購入しました。
タイはやはり暑かった!
噂には聞いていましたが信号はあって無いようなもの。
いつ車に轢かれてもおかしくない状態でした。
屋台には沢山の食べ物が売られていましたが、やはり衛生状態はよろしくな
い感じ。
私はすぐお腹を壊してしまうので食べていたら一発アウトだったと思います。
式典での私は優績者にステージでインタビューをする担当でした。
椅子に座り斜めに向かい合ってインタビューをしている様子を写真に撮って
もらったようでした。
しかし・・・その写真はボツとなってしまったのです。
何故かというと、撮った角度が私の太い脚を更に太くしていたらしいのです。
したがって、インタビュー写真はもらえませんでした。残念!