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2022.11.12

約41年間の歩みNO.42

本社3年目の終盤に思いもよらないオファーが舞い込んできました。

何と私に横浜支社の拠点長を担当するようにとのことでした。

一瞬私は頭が真っ白になり、この時ばかりは即答できませんでした。

今までの私は一も二もなく返事をしていましたが一晩考えることに・・・

やはり年齢のこと、体調のことを考えると正直キツイかなと・・・

一晩考えて、引き受けることにしました。

営業拠点の人事異動のオファーは断ることもできます。

ですが11月も最終週になってからのオファーは先に何人かに断られたの

かも知れないと想像ができました。

切羽詰まったこの時期に私が断ると、また振り出しに戻ってしまいます。

それは私のポリシーに反すると考えたのです。

変なところに義理人情が働くのです。

私をここまで働かせてくれた会社に何か恩返しがしたいとずっと思ってい

ました。

勿論、私が受けたからといって、上手く経営ができるとは限りません。

ですが恐らくは営業拠点長としては最後のチャレンジになるであろうとの

想いもあり、清水の舞台から飛び降りるくらいの気持ちで受けさせていた

だきました。

着任後全員と個人面談をして拠点の課題を浮き彫りにしました。

私が思ったのは1人1人の自己効力感が低下して、能力があっても発揮で

きていないような感じでした。

私はまずは1人1人の自信を取り戻したいと思ったのです。

そこに居たメンバーの多くは心が純粋で素直な方々ばかりでした。

そしてユニットマネージャーも管下のメンバーに献身的な方々でした。

私はできるだけ多くの時間をメンバーに関わり、それぞれの想いを受け止

めたいと必死でした。

そして多くの知識やスキルを身に付けていただきたいと思い、地区本部や

本社から朝礼時のゲストとして来ていただき、貴重なスピーチや勉強会を

お願いしました。

メンバーにも継続的に得意分野の勉強会を担当していただき、拠点全体の

業績向上にも寄与していただきました。

採用活動にも力を入れました。

採用媒体はあまり好きではありませんでしたが使ってみることにしました。

かなり多くの方々を面接しましたが両者のニーズがマッチせず効果を感じ

ることができませんでした。

このように失敗も多くありましたが私の中で充実した1年を過ごすことが

できました。

ほんの1年で本社に戻ることになりましたが私にとっては2年にも3年に

も感じる中身の濃い1年だったと思っています。

最後に全員で送別会を開いてくれました。

私は最後のスピーチで体中の水分が全部出てしまうほど泣いていました。

私は本当に横浜のメンバーが大好きで離れるのが寂しかったのです。

2022.11.11

約41年間の歩みNO.41

3週間後に無事退院することができホッとしました。

退院後は食事の支度も大変だからと同僚がお惣菜をお母様に作ってもらって

持ってきてくれたのです。

その時食べたひじきの煮物やきんぴらごぼうの味が今でも忘れられません。

数日休んで仕事に復帰しました。

退屈な入院生活と違って会社に居る自分はイキイキとしていることが実感で

き、自分の居場所を再確認しました。

とは言っても入院当初の1週間はベッドに寝た切り状態でしたが喀血が収ま

って貧血の数値が徐々に改善されてきた頃には本を読む余裕も出てきました。

長男に頼んで数冊の本を買って来てもらいましたがその中の一冊に佐藤愛子

さんの「九十歳。何がめでたい」というエッセイがありました。

何度読み返しても面白い!なんともウィットにとんだ表現はゲラゲラ笑って

とても元気が出るものでした。

老いることを楽しんでいるようにも思えて読み手の私もつい応援したくなる

チャーミングな愛子センセイです。

このエッセイを書いたのが93歳ですから現在は何と99歳!!

私も80歳までは働きたいと思っていましたが100歳まで働くことも夢で

はない時代に突入したのかも?と本気で考えている今日この頃です。

私も少しでも誰かに影響を与えられる存在になりたいと決意を新たにしまし

た。

2022.11.10

約41年間の歩みNO.40

東京での入院生活は3週間にわたりました。

札幌では一番上の姉が洗濯などをしてくれました。そして私の二男も当時札幌

で大学生だったので色々助けてくれました。

東京では三番目の姉が埼玉に居るので洗濯などをしてくれました。そして私の

長男が東京に居たので色々助けてくれました。

会社の方々にもご迷惑をかけた上にお見舞いに来てもらったり、仕事の上でも

種々助けてもらったりしました。

本当に感謝です。

喀血そのものは点滴や止血剤で止まりましたが原因の究明のため、あらゆる検

査を受けました。

肺のレントゲンやCTを撮影しましたが悪い物は見つかりませんでした。

この病院でも気管支内視鏡は口からでしたが恐れていたわりにはスムーズに検

査を受けることができました。慣れでしょうか・・・?

ただ先生が右肺の静脈が細くなっている部分があって、そこから出血したよう

だと仰っていました。

これが生まれ持った奇形なのか後からのものなのかは判明しないが狭窄した血

管を拡張する手術をしましょうと計画してくれました。

そして手術日を迎えました。

生まれて初めての手術ということで心臓がドキドキしていましたが部分麻酔な

ので意識はハッキリしています。

鼠径部からカテーテルを狭窄している部分まで通し拡張させました。

音や感触などがハッキリ聞こえるし感じるし・・・

ですが生々しいけど冷静になって行く自分がいたのです。

手術は無事成功し日を追うごとに元気になっていきました。

定期的に検査を受けてはいますが正式な病名は何だったのか未だに不明。

昨年もまさか喀血?と思って夜中に病院に行きましたが私の勘違いだったよう

でした。

やはり健康が一番です。今まで仕事仕事と身体を酷使して来たので「少し休み

なさい」ということなんだと自分に言い聞かせていました。

2022.11.09

約41年間の歩みNO.39

札幌での入院は2週間くらいだったと記憶しています。

一番嫌だったのが気管支内視鏡検査!

もう死ぬかと思うほど苦しい思いをしました。

口から内視鏡を入れて気管支の状態を診るわけですが肺に空気が全くはいらない。

と、思ってしまうのです。

実際は本当に細い管なので空気は入っているはずなのですが・・・

一度鼻からも入れたことがあったのですが口から入れるよりは楽だったような・・

色々検査をしましたが結局原因はわからず。

退院後も定期的に検査をしてもどこも悪い所がみつからない。

そして、2年半後の東京でまた同じ状況になったのです。

会社のトイレで異変に気付いた私は即病院に行き手当を受けました。

ですが止血剤を処方してくれるのみ。

そのまま帰宅してベッドで横になり起き上がった瞬間にまたまた大量喀血!

これは前回より酷いと感じた私はまたまた救急車を呼ぶことに。

暫く待つこと20分くらいだったでしょうか。

救急車に運ばれた後が大変でした。

受け入れ先が全くみつからないのです。

救急隊員の方々に励まされながら何時間も救急車の中で横たわっていました。

その時やっと受け入れてくれる病院が見つかり救急隊員の方々と喜びを分かち合

うことができました。

その後の流れは札幌の時とほぼ一緒です。

しかし驚いたことがありました。

看護師長が「現在大部屋は満室です。個室は空いていますが一泊〇万円です。

どうしても大部屋が良いということでしたら他を探してもらうしかありません。」

え~!この状態で他の病院探す?

と心の声・・・

そりゃあ、個室に入るでしょう。入りますとも。

「大部屋が空いたら私を移動させてくださいね。」

とお願いを忘れませんでした。

2022.11.08

約41年間の歩みNO.38

東京ライフ3年目に入ったある日、会社のトイレで異変を感じました。

実は札幌勤務の時にも同じ経験をしていたのです。

出張で旭川営業所に行き朝礼後鼻血が止まらなくなりトイレに籠りました。

かなりの時間止血を試みましたが止まらず、タクシーで病院に行って診ても

らい点滴で様子をみることに・・・

やっと少し落ち着きました。

先生から札幌に帰るなら今のうちに帰った方が良いと言われ、JRに乗って札

幌へ。

部屋に着いた私は先生の言う通りに大人しくベッドに横たわり身体を休めま

した。

夜中になってお腹が空いた私は起き上がろうとしたその瞬間・・・

大量の喀血をしてしまったのです。

吐血ではなく喀血。

つまり胃からではなく肺からの出血でした。

とんでもなく出る血を見て自分の身体が自分のものではないような不思議な

感覚になったのを昨日のことのように覚えています。

だんだん息ができなくなり歩くのもやっとの状態になり命の危険を感じた私

は人生で初めて救急車を呼びました。

救急車が到着するまでの時間は途方もなく長く感じられました。

やっと到着した救急隊員に抱きかかえられ救急病院へ。

コロナ禍にある今だったら救急病院での受け入れも困難だったと思います。

それでも何件か断られながらも大きな病院で受け入れてもらえました。

病棟に入る前の待機室のベッドの上に横たわる私にいきなり現実が・・・

看護師長が「長谷川さん、入院になりますが個室と大部屋とどちらが良いで

すか?」・・・

最初は何を質問されているのか呑み込めずキョトンとしてしまいました。

業を煮やした看護師長は再度「個室は差額ベット代がかかりますが大部屋は

かかりません。どうします?」

やっと理解できた私は次の瞬間「差額ベットだといくらですか?」と訊いて

いました。

この時もずっとベットの上で横になりながら。

そして貧血で真っ青になりながら・・・

現実は厳しいとこの時も思い知らされたのでした。