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2022.11.14

約41年間の歩みNO.44

本社に戻って半年が経過した頃に新人教育の在り方が大きく変わろうとしていました。

入社月に実施している研修が全員が一斉に研修を受講するスタイルから反転学習といって先に動画を視聴して予習してから集合研修を実施するというものに変わろうとしていました。したがって動画を視聴してこないと研修についていけないということです。

その研修スタイルそのものは効果的だと感じていました。

しかし、新人教育を主導する方を外部に依頼し全面的に変更するということでした。

この変更によって翌年からの全国本社集合研修は廃止となり、私はその変更内容を何とも複雑な気持ちで受け取りました。

11月中旬には翌年の人事異動が発表され、私は今までの教育Gから市場開拓Gに異動のオファーを受けたのです。

それは私自身の生命保険業界歴約41年の歴史に幕を閉じる前触れだったように思います。

翌年から市場開拓Gとなりましたが教育Gでの引継ぎが未了だったので2月中旬までは教育Gの仕事をしていました。

2月中旬からは市場開拓Gの仕事にシフトして行きましたが・・・

私は何とも馴染めないのでした。

メイン業務は「相続」でしたが明らかに会社として力を入れていない様子。

何とか軌道に乗せようと前任者のデータを読み込んでいると、防衛省のセミナー講師の依頼が舞い込んできました。

プレゼン内容は私でも問題なくできると思い独自で練習を開始しました。

ところがそんな矢先に世界的なコロナ禍で予定していたセミナーが中止に。

そして、私にとって初めての業務として業者との間で取り交わす契約書の作成をすることになり、悪戦苦闘しながらも最後に法務部の許可を得て社判を押印してもらえた時には大袈裟ですが心から晴れやかな気持ちになったものです。

やれやれと思っていた矢先にまたまた異動のオファーが・・・

6年ぶりに北海道に異動することになったのでした。

2022.11.13

約41年間の歩みNO.43

横浜をあとにして再び笹塚の本社に戻りました。

今度の業務も新人育成でした。

基本の業務は笹塚の本社で、新人研修は新宿の研修所に通いました。

私の好きな仕事に入社3ケ月間の業績全国NO.1の新人にインタビューをして

記事にまとめ全国の拠点に配信するものがありました。

生命保険の仕事はそれまでの人生に対して通信簿をつけられるようなもの

でもあります。どのように人間関係を構築してきたのかが問われる時もあ

って精神的に追い込まれる人も多く見て来ました。

なかには他社から転職してきた方もいましたが全くの未経験で全国NO.1

になった方も多くいました。

そういう方に電話でインタビューをして喜びの声を聴くことは私にとって

本当に贅沢な時間だったと感じています。

その感動的なストーリーを聴いて思わず涙が零れることもしばしば・・・

その方のユニットマネージャーにもお話を聴き、ユニットマネージャーの

献身的な支えがあっての結果でもあったと感じたものです。

拠点長からもお話を聴きました。今後の拠点の繁栄に欠かせない人材に育

って欲しいとの願いが籠った熱いコメントでした。

新人が育って行く背景には新人が持って生まれた能力もありますが環境も

大きく影響してきます。

そして何より、この生命保険という仕事にどれだけ心を砕けるか。

また、入社した会社を愛し、販売する商品を愛することができるか。

勿論、販売プロセスは大事です。

ですが敢えて会社と商品を愛して欲しいと伝えたい。

何故かというとお客様に自信をもって伝えられるからです。

そしてお客様にその自信が伝わるからです。

やはり入社初期の教育が重要だと思っています。

毎月生命保険の仕事に賭けて入社してくる新人が多くいることでしょう。

どうか生命保険の仕事の意義役割を心に刻み、会社を愛して商品を愛して

邁進して行って欲しいと心から願っています。

2022.11.12

約41年間の歩みNO.42

本社3年目の終盤に思いもよらないオファーが舞い込んできました。

何と私に横浜支社の拠点長を担当するようにとのことでした。

一瞬私は頭が真っ白になり、この時ばかりは即答できませんでした。

今までの私は一も二もなく返事をしていましたが一晩考えることに・・・

やはり年齢のこと、体調のことを考えると正直キツイかなと・・・

一晩考えて、引き受けることにしました。

営業拠点の人事異動のオファーは断ることもできます。

ですが11月も最終週になってからのオファーは先に何人かに断られたの

かも知れないと想像ができました。

切羽詰まったこの時期に私が断ると、また振り出しに戻ってしまいます。

それは私のポリシーに反すると考えたのです。

変なところに義理人情が働くのです。

私をここまで働かせてくれた会社に何か恩返しがしたいとずっと思ってい

ました。

勿論、私が受けたからといって、上手く経営ができるとは限りません。

ですが恐らくは営業拠点長としては最後のチャレンジになるであろうとの

想いもあり、清水の舞台から飛び降りるくらいの気持ちで受けさせていた

だきました。

着任後全員と個人面談をして拠点の課題を浮き彫りにしました。

私が思ったのは1人1人の自己効力感が低下して、能力があっても発揮で

きていないような感じでした。

私はまずは1人1人の自信を取り戻したいと思ったのです。

そこに居たメンバーの多くは心が純粋で素直な方々ばかりでした。

そしてユニットマネージャーも管下のメンバーに献身的な方々でした。

私はできるだけ多くの時間をメンバーに関わり、それぞれの想いを受け止

めたいと必死でした。

そして多くの知識やスキルを身に付けていただきたいと思い、地区本部や

本社から朝礼時のゲストとして来ていただき、貴重なスピーチや勉強会を

お願いしました。

メンバーにも継続的に得意分野の勉強会を担当していただき、拠点全体の

業績向上にも寄与していただきました。

採用活動にも力を入れました。

採用媒体はあまり好きではありませんでしたが使ってみることにしました。

かなり多くの方々を面接しましたが両者のニーズがマッチせず効果を感じ

ることができませんでした。

このように失敗も多くありましたが私の中で充実した1年を過ごすことが

できました。

ほんの1年で本社に戻ることになりましたが私にとっては2年にも3年に

も感じる中身の濃い1年だったと思っています。

最後に全員で送別会を開いてくれました。

私は最後のスピーチで体中の水分が全部出てしまうほど泣いていました。

私は本当に横浜のメンバーが大好きで離れるのが寂しかったのです。

2022.11.11

約41年間の歩みNO.41

3週間後に無事退院することができホッとしました。

退院後は食事の支度も大変だからと同僚がお惣菜をお母様に作ってもらって

持ってきてくれたのです。

その時食べたひじきの煮物やきんぴらごぼうの味が今でも忘れられません。

数日休んで仕事に復帰しました。

退屈な入院生活と違って会社に居る自分はイキイキとしていることが実感で

き、自分の居場所を再確認しました。

とは言っても入院当初の1週間はベッドに寝た切り状態でしたが喀血が収ま

って貧血の数値が徐々に改善されてきた頃には本を読む余裕も出てきました。

長男に頼んで数冊の本を買って来てもらいましたがその中の一冊に佐藤愛子

さんの「九十歳。何がめでたい」というエッセイがありました。

何度読み返しても面白い!なんともウィットにとんだ表現はゲラゲラ笑って

とても元気が出るものでした。

老いることを楽しんでいるようにも思えて読み手の私もつい応援したくなる

チャーミングな愛子センセイです。

このエッセイを書いたのが93歳ですから現在は何と99歳!!

私も80歳までは働きたいと思っていましたが100歳まで働くことも夢で

はない時代に突入したのかも?と本気で考えている今日この頃です。

私も少しでも誰かに影響を与えられる存在になりたいと決意を新たにしまし

た。

2022.11.10

約41年間の歩みNO.40

東京での入院生活は3週間にわたりました。

札幌では一番上の姉が洗濯などをしてくれました。そして私の二男も当時札幌

で大学生だったので色々助けてくれました。

東京では三番目の姉が埼玉に居るので洗濯などをしてくれました。そして私の

長男が東京に居たので色々助けてくれました。

会社の方々にもご迷惑をかけた上にお見舞いに来てもらったり、仕事の上でも

種々助けてもらったりしました。

本当に感謝です。

喀血そのものは点滴や止血剤で止まりましたが原因の究明のため、あらゆる検

査を受けました。

肺のレントゲンやCTを撮影しましたが悪い物は見つかりませんでした。

この病院でも気管支内視鏡は口からでしたが恐れていたわりにはスムーズに検

査を受けることができました。慣れでしょうか・・・?

ただ先生が右肺の静脈が細くなっている部分があって、そこから出血したよう

だと仰っていました。

これが生まれ持った奇形なのか後からのものなのかは判明しないが狭窄した血

管を拡張する手術をしましょうと計画してくれました。

そして手術日を迎えました。

生まれて初めての手術ということで心臓がドキドキしていましたが部分麻酔な

ので意識はハッキリしています。

鼠径部からカテーテルを狭窄している部分まで通し拡張させました。

音や感触などがハッキリ聞こえるし感じるし・・・

ですが生々しいけど冷静になって行く自分がいたのです。

手術は無事成功し日を追うごとに元気になっていきました。

定期的に検査を受けてはいますが正式な病名は何だったのか未だに不明。

昨年もまさか喀血?と思って夜中に病院に行きましたが私の勘違いだったよう

でした。

やはり健康が一番です。今まで仕事仕事と身体を酷使して来たので「少し休み

なさい」ということなんだと自分に言い聞かせていました。