ブログ

2022.11.17

約41年間の歩みNO.47

 旭川営業所に通い始めて7ケ月目の中旬だったでしょうか。

その日は札幌支社での業務で札幌のオフィスに出勤しました。

8時30分前にパソコンの電源を入れてメールを確認していると衝撃的な通知文

が目に飛び込んできたのです。

なんと希望退職制度!!

役職者も含め45歳以上の職員全員が対象となっていました。

年齢や勤続年数別に条件は違いますが割増退職金が支払われると記載されていま

した。

私は65歳まで3年3ケ月残っていました。

ただ、65歳まで在籍した後に新しいことにチャレンジするのはどうか・・・

期限まで2週間です。

何度も何度も自問自答してみましたが答えは出ていたのです。

ですが約41年も勤めた会社を簡単には辞めたくはない。

そして、旭川営業所のことも気になりました。

私が退職することで営業所閉鎖の不安が加速するのではないかと悩みました。

そして期限の前日の日曜日、翌朝が大雪警報のため旭川に前泊させてもらうこ

とにしました。

その前に会社に寄って、誰も居ないオフィスで心を静めて早期退職の提出をし

ました。

不思議なくらい冷静に提出できたのは不思議でしたが・・・

実は10年くらい前から起業の夢をもっていました。

会社の看板に守られて来た私は勇気が無かったのだと思います。

現実は厳しいのです。

ですが会社が苦しいこの段階で私の決断が少しの役に立つのなら・・・という

気持ちもあり、勇気を出すことができたのだと思います。

最終日の3月31日まで有休も取らずに勤め上げることを心に誓い、1日1日

を噛みしめるように会社に通いました。

改めて、幸せな41年だったと心から感じていたのでした。

2022.11.16

約41年間の歩みNO.46

札幌支社の営業課長としての役割で最も重要だったのが旭川営業所のサポート

でした。

旭川営業所には事務担当者はいましたが拠点長は不在だったのです。

私は何とか旭川営業所の方々が少しでも安心して仕事ができるように毎週2日

間びっしり関われるように通いました。

1日目は朝6:35の列車に乗るために5時起きでした。

8時に旭川駅に着き、事務担当者が私を車で会社に連れて行ってくれました。

9時から朝礼が始まります。

皆さんは朝礼前に会社に着いてそれぞれの仕事の準備をしています。

私はその日の朝礼で使用する資料を準備したりしながら皆さんの様子を観察

していました。

お客様からご契約をお預かりして喜んでいる方、契約の保全で書類の整理を

している方などなど・・・

その表情が明るかったり暗かったりしていることがあります。

何か気になる表情だったり態度だったりする時は朝礼後にさりげなく声をか

けてみます。

体調面だったり精神面だったりの悩みを抱えていることもあります。

そういう変化を見逃さないように心がけていたつもりでした。

ですが、退職希望のサインを見逃してしまうこともあり、悔しい思いもした

ことを記憶しています。

1日目はホテルに泊まるため仕事は最後の営業担当者がオフィスに戻る20

時か21時ころまでは会社で仕事をしていました。

古い考えかもしれませんがオフィスに戻る営業担当者が居るのに自分だけ先

に帰れなかったのです。

そして翌日も朝礼をし、新人研修、個人面談、顧客訪問、採用面接などをし

て6時頃の列車で札幌に戻るというルーティーンを送っていたのでした。

2022.11.15

約41年間の歩みNO.45

北海道に戻った私は札幌支社の営業課長というポジションでした。

その頃同じポジションに私を含め3名いました。

北海道は広いですし組織構造が複雑になっていましたので3名だったのかな

とは思いましたが正直3名も必要なのか疑問もありました。

とはいえ、私の業務も多岐にわたっており呑気にしている時間はありません。

まずは新人育成状況の改善が急務だと感じました。

生命保険営業は最低限の業績を挙げないと会社に在籍することができないの

です。

新人には2つの査定基準が用意されていましたがコロナ禍の対応として緩和基

準が設けられていました。

その内容がなかなか複雑で札幌支社スタッフの中でも正確に理解している人が

いない状況でした。

ですがそんな事を言っていられません。何故なら査定は待ったなしですから。

スタッフのミスで新人の査定が通らなくなったら死活問題です。

私はこの査定問題を第一優先課題として取り組みました。

当時対象新人が20名くらいだったでしょうか。

1人別にシートを作成して徹底的に管理体制を敷きました。

勿論新人本人にもユニットマネージャーにも理解し把握してもらう為にシート

にコメントを付けて月初と月末に配布しました。

お陰で査定ミスで降格するような事態は避けられましたが問題は査定が通れば

食べていけるかということです。

お客様に対して最高の対応をして行くためには営業担当者自身が最高の心の状

態であることが望ましいのです。

ですが経済的に余裕がないと、どうしてもベクトルが営業担当者自身に向いて

しまう。つまり「俺のため(私のため)にこの保険に入って欲しい・・・」と

潜在意識が叫んでしまうのです。

そうならないためにも一定の期間はその方に見合った初期補給金が設定されて

いました。が、営業するには必要経費がかかります。

その認識が薄いと「こんなはずではなかった・・・」となりかねません。

精神的にも経済的にも窮地に立たされた営業担当者を多く見てきました。

そこから抜け出せるのは決して諦めない心構えと生命保険の意義役割にコミッ

トしお客様のニードを把握する傾聴力がある営業担当者だと確信しています。

2022.11.14

約41年間の歩みNO.44

本社に戻って半年が経過した頃に新人教育の在り方が大きく変わろうとしていました。

入社月に実施している研修が全員が一斉に研修を受講するスタイルから反転学習といって先に動画を視聴して予習してから集合研修を実施するというものに変わろうとしていました。したがって動画を視聴してこないと研修についていけないということです。

その研修スタイルそのものは効果的だと感じていました。

しかし、新人教育を主導する方を外部に依頼し全面的に変更するということでした。

この変更によって翌年からの全国本社集合研修は廃止となり、私はその変更内容を何とも複雑な気持ちで受け取りました。

11月中旬には翌年の人事異動が発表され、私は今までの教育Gから市場開拓Gに異動のオファーを受けたのです。

それは私自身の生命保険業界歴約41年の歴史に幕を閉じる前触れだったように思います。

翌年から市場開拓Gとなりましたが教育Gでの引継ぎが未了だったので2月中旬までは教育Gの仕事をしていました。

2月中旬からは市場開拓Gの仕事にシフトして行きましたが・・・

私は何とも馴染めないのでした。

メイン業務は「相続」でしたが明らかに会社として力を入れていない様子。

何とか軌道に乗せようと前任者のデータを読み込んでいると、防衛省のセミナー講師の依頼が舞い込んできました。

プレゼン内容は私でも問題なくできると思い独自で練習を開始しました。

ところがそんな矢先に世界的なコロナ禍で予定していたセミナーが中止に。

そして、私にとって初めての業務として業者との間で取り交わす契約書の作成をすることになり、悪戦苦闘しながらも最後に法務部の許可を得て社判を押印してもらえた時には大袈裟ですが心から晴れやかな気持ちになったものです。

やれやれと思っていた矢先にまたまた異動のオファーが・・・

6年ぶりに北海道に異動することになったのでした。

2022.11.13

約41年間の歩みNO.43

横浜をあとにして再び笹塚の本社に戻りました。

今度の業務も新人育成でした。

基本の業務は笹塚の本社で、新人研修は新宿の研修所に通いました。

私の好きな仕事に入社3ケ月間の業績全国NO.1の新人にインタビューをして

記事にまとめ全国の拠点に配信するものがありました。

生命保険の仕事はそれまでの人生に対して通信簿をつけられるようなもの

でもあります。どのように人間関係を構築してきたのかが問われる時もあ

って精神的に追い込まれる人も多く見て来ました。

なかには他社から転職してきた方もいましたが全くの未経験で全国NO.1

になった方も多くいました。

そういう方に電話でインタビューをして喜びの声を聴くことは私にとって

本当に贅沢な時間だったと感じています。

その感動的なストーリーを聴いて思わず涙が零れることもしばしば・・・

その方のユニットマネージャーにもお話を聴き、ユニットマネージャーの

献身的な支えがあっての結果でもあったと感じたものです。

拠点長からもお話を聴きました。今後の拠点の繁栄に欠かせない人材に育

って欲しいとの願いが籠った熱いコメントでした。

新人が育って行く背景には新人が持って生まれた能力もありますが環境も

大きく影響してきます。

そして何より、この生命保険という仕事にどれだけ心を砕けるか。

また、入社した会社を愛し、販売する商品を愛することができるか。

勿論、販売プロセスは大事です。

ですが敢えて会社と商品を愛して欲しいと伝えたい。

何故かというとお客様に自信をもって伝えられるからです。

そしてお客様にその自信が伝わるからです。

やはり入社初期の教育が重要だと思っています。

毎月生命保険の仕事に賭けて入社してくる新人が多くいることでしょう。

どうか生命保険の仕事の意義役割を心に刻み、会社を愛して商品を愛して

邁進して行って欲しいと心から願っています。