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2022.11.19

約41年間の歩みNO.49

私は5人姉妹の5女として北海道阿寒町の片田舎に生まれました。

両親は酪農や農業を営み、経済的には決して裕福ではない家庭でした。

両親は家業を継いでくれる男の子が生まれることを望んでいましたが5番目

も女の子・・・

母は大きく落胆したと物心がついた時に直接私に言っていました。

産まれた直後は橋の下に本当に置いてこようと思ったらしいです。

その後両親は占いをみてもらい「お宅には男の子は生まれません。」とハッ

キリ告げられたことで諦めたようです。

もし両親が本当に橋の下に置いていたら私の人生は全く違うものになってい

たかも知れません。

とはいえ、その後の私は5女の末っ子として家族から甘やかされ、可愛がっ

てもらったと自覚しています。

そんな私はいつの頃か「私は何のために生まれてきたのだろう?」と思うよ

うになりました。

決して何かに悲観してのことではありません。

自分には生まれてきた意味があるはずだと思うようになったのです。

なので人生の時々に起きたネガティブな出来事にも「この出来事を違う角度

で捉えたらどうなるだろう?」と知らず知らずのうちに自問自答している私

がいたのです。

その出来事を乗り越えた先には私自身が成長を実感できる出来事が待ってい

ました。

そして、信念を持って願えば必ず描いた夢は実現することも体験しました。

SNSで偶然出会ったライフコーチング!私は「これだ!」と確信しました。

私が知りたかったことがこのロジカルに体系立てた12ステップコーチング

に凝縮されていました。

現実の世界とスピリチュアルの世界が丁度良いバランスで成り立っていまし

た。

私は心の赴くままにポチっと申し込みをしていたのです。

2022.11.18

約41年間の歩みNO.48

退職を決めてからの月日の流れは本当に早かった!

退職後のことを考えて、今から準備できることを探しました。

まず、何をするか。

どこでするか。

誰とするか。

自分勝手に色々妄想しながら準備を進めて行きました。

まずは何をするか・・・

私は約41年間も生命保険業界にいて、人に多く関わってきました。

そして、多くの人の話を聴いてきました。

仕事のこと、人間関係のこと、経済的なこと、身体のこと、健康のこと。。。

本当に様々な悩みや問題を抱えている方が多かったですし、自分だけでは問題

を解決できない人も多かったと思っていました。

これからの人生はこういう方々の心に寄り添い、対話を通して内省を促し自問

自答のなかから本人が答えを見つけ行動に変えて行くキャリアコンサルタント

やコーチとして対人支援の仕事をして行きたいと自然と思えたのです。

早速キャリアコンサルタントの国家資格を得るための講座に申しこみました。

キャリアコンサルタント養成講座は教育訓練給付制度(専門実践)の指定講座

のため合格したら学費が最大70% 還元されます。

私は札幌の通学コースを選んだので住む場所も自然の流れで決まりました。

そしてもう一つ・・・

対人支援をしていて感じていたことがあります。

理屈では片づけられないような不思議な出来事だったり力だったり・・・

ある時偶然SNSで見かけたライフコーチングが気になっていました。

その後も何度も何度も見かけているうちに一度しっかり読み込んでみたのです。

そこには私の心が求めていた内容が書かれていました。

2022.11.17

約41年間の歩みNO.47

 旭川営業所に通い始めて7ケ月目の中旬だったでしょうか。

その日は札幌支社での業務で札幌のオフィスに出勤しました。

8時30分前にパソコンの電源を入れてメールを確認していると衝撃的な通知文

が目に飛び込んできたのです。

なんと希望退職制度!!

役職者も含め45歳以上の職員全員が対象となっていました。

年齢や勤続年数別に条件は違いますが割増退職金が支払われると記載されていま

した。

私は65歳まで3年3ケ月残っていました。

ただ、65歳まで在籍した後に新しいことにチャレンジするのはどうか・・・

期限まで2週間です。

何度も何度も自問自答してみましたが答えは出ていたのです。

ですが約41年も勤めた会社を簡単には辞めたくはない。

そして、旭川営業所のことも気になりました。

私が退職することで営業所閉鎖の不安が加速するのではないかと悩みました。

そして期限の前日の日曜日、翌朝が大雪警報のため旭川に前泊させてもらうこ

とにしました。

その前に会社に寄って、誰も居ないオフィスで心を静めて早期退職の提出をし

ました。

不思議なくらい冷静に提出できたのは不思議でしたが・・・

実は10年くらい前から起業の夢をもっていました。

会社の看板に守られて来た私は勇気が無かったのだと思います。

現実は厳しいのです。

ですが会社が苦しいこの段階で私の決断が少しの役に立つのなら・・・という

気持ちもあり、勇気を出すことができたのだと思います。

最終日の3月31日まで有休も取らずに勤め上げることを心に誓い、1日1日

を噛みしめるように会社に通いました。

改めて、幸せな41年だったと心から感じていたのでした。

2022.11.16

約41年間の歩みNO.46

札幌支社の営業課長としての役割で最も重要だったのが旭川営業所のサポート

でした。

旭川営業所には事務担当者はいましたが拠点長は不在だったのです。

私は何とか旭川営業所の方々が少しでも安心して仕事ができるように毎週2日

間びっしり関われるように通いました。

1日目は朝6:35の列車に乗るために5時起きでした。

8時に旭川駅に着き、事務担当者が私を車で会社に連れて行ってくれました。

9時から朝礼が始まります。

皆さんは朝礼前に会社に着いてそれぞれの仕事の準備をしています。

私はその日の朝礼で使用する資料を準備したりしながら皆さんの様子を観察

していました。

お客様からご契約をお預かりして喜んでいる方、契約の保全で書類の整理を

している方などなど・・・

その表情が明るかったり暗かったりしていることがあります。

何か気になる表情だったり態度だったりする時は朝礼後にさりげなく声をか

けてみます。

体調面だったり精神面だったりの悩みを抱えていることもあります。

そういう変化を見逃さないように心がけていたつもりでした。

ですが、退職希望のサインを見逃してしまうこともあり、悔しい思いもした

ことを記憶しています。

1日目はホテルに泊まるため仕事は最後の営業担当者がオフィスに戻る20

時か21時ころまでは会社で仕事をしていました。

古い考えかもしれませんがオフィスに戻る営業担当者が居るのに自分だけ先

に帰れなかったのです。

そして翌日も朝礼をし、新人研修、個人面談、顧客訪問、採用面接などをし

て6時頃の列車で札幌に戻るというルーティーンを送っていたのでした。

2022.11.15

約41年間の歩みNO.45

北海道に戻った私は札幌支社の営業課長というポジションでした。

その頃同じポジションに私を含め3名いました。

北海道は広いですし組織構造が複雑になっていましたので3名だったのかな

とは思いましたが正直3名も必要なのか疑問もありました。

とはいえ、私の業務も多岐にわたっており呑気にしている時間はありません。

まずは新人育成状況の改善が急務だと感じました。

生命保険営業は最低限の業績を挙げないと会社に在籍することができないの

です。

新人には2つの査定基準が用意されていましたがコロナ禍の対応として緩和基

準が設けられていました。

その内容がなかなか複雑で札幌支社スタッフの中でも正確に理解している人が

いない状況でした。

ですがそんな事を言っていられません。何故なら査定は待ったなしですから。

スタッフのミスで新人の査定が通らなくなったら死活問題です。

私はこの査定問題を第一優先課題として取り組みました。

当時対象新人が20名くらいだったでしょうか。

1人別にシートを作成して徹底的に管理体制を敷きました。

勿論新人本人にもユニットマネージャーにも理解し把握してもらう為にシート

にコメントを付けて月初と月末に配布しました。

お陰で査定ミスで降格するような事態は避けられましたが問題は査定が通れば

食べていけるかということです。

お客様に対して最高の対応をして行くためには営業担当者自身が最高の心の状

態であることが望ましいのです。

ですが経済的に余裕がないと、どうしてもベクトルが営業担当者自身に向いて

しまう。つまり「俺のため(私のため)にこの保険に入って欲しい・・・」と

潜在意識が叫んでしまうのです。

そうならないためにも一定の期間はその方に見合った初期補給金が設定されて

いました。が、営業するには必要経費がかかります。

その認識が薄いと「こんなはずではなかった・・・」となりかねません。

精神的にも経済的にも窮地に立たされた営業担当者を多く見てきました。

そこから抜け出せるのは決して諦めない心構えと生命保険の意義役割にコミッ

トしお客様のニードを把握する傾聴力がある営業担当者だと確信しています。