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2022.11.24

約41年間の歩みNO.54

コロナの影響で失業手当期間が2ケ月ほど延長になりました。

再就職をする気持ちはなかったので開業に向けての勉強の期間となりました。

東京にある起業塾に入り一から学びました。

同期は三人。

個性豊かなメンバーですが6ケ月の起業塾を卒業した後も毎月定期的にZOOM

で近況報告会をしています。

倫理法人会にも入り、多くの方々との出会いがありました。

そして、早朝からのミーティングは心が整い一日が長く感じられ、得した気

持ちになれます。

異業種交流会にも入りました。

今まで経験したことのない徹底的にシステマティックな形態で毎週のミーテ

ィングが進んで行きます。

ミーティングだけではなく全てのものがシステム化されているのです。

まだ入会して日が浅いのでわからないことが多いですが・・・

会社を退職してから多くの団体に加入し多くの方々と出逢い視野が広まった

と感じています。

そして、素直に前向きに学びを進めています。

今はもう大企業の看板は無いけれど、自分の夢に向かって歩を進めているの

が嬉しい。

正直まだ誇れるだけの看板は無いけれど、目標を立てて我武者羅に進んでみ

ようと思っています。

2022.11.23

約41年間の歩みNO.53

キャリアコンサルタント養成講座の修了試験日が2021年7月17日。

父の95歳の誕生日と同じ日!

父は私が札幌で受験するのを釧路で待って7月21日に旅立ったのかな、と

勝手に思っています。

キャリアコンサルタントと言ってピンと来る方はまだ少ないと思います。

働く環境が急激に変化する中で、働く方自身がどういう職業人生を送りたい

のか、どうしたら実現できるのか、それらを自分自身で考えなければならな

い時代になってきています。

生涯を通じた職業の選択や計画や能力の開発向上を「キャリア」といい、そ

のキャリアに対する相談に応じ、サポートを行う業務を「キャリアコンサル

ティング」といいます。

そして、私たちは働く方々のキャリアに対する専門家として「キャリアコン

サルタント」と呼ばれているのです。

社会環境の変化に伴いキャリアコンサルタントが重要な存在となってきた背

景があり、2016年に国家資格となりました。

キャリアコンサルタントの試験は学科と実技に分かれていますが、この試験

を実施する団体が2つあります。

1つ目は「キャリアコンサルティング協議会」

2つ目は「日本キャリア開発協会」

私は2つ目の「日本キャリア開発協会」で学びました。

2つの団体の試験は学科は同じですが実技が異なっていました。

私が学んだ「日本キャリア開発協会」の軸になっている手法は傾聴です。

そして「経験代謝」という考え方で相談者に語りを促して行きます。

「経験代謝」とは新陳代謝からヒントを得た造語だということでした。

経験を鏡にして内省を促す関わり方です。

国家試験前はZOOMで資格保有者の先輩がボランティアで何度も指導してく

れました。

お陰で何とか試験に合格し資格を取得することができました。

感謝に堪えません。

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2022.11.22

約41年間の歩みNO.52

父が亡くなり母のことが心配でしたが母は思いのほか元気でした。

と言うか元気過ぎるくらいで驚きました。

父は95歳で亡くなりましたが、その時の母は91歳。

母は「父さんは95歳で死んだから、母さんは父さんより長生きしたい!」

と言いました。

よく仲の良い夫婦はどちらかが亡くなるとすぐに後を追うと聞いていたので、

ちょっと肩透かしを食うような気持ちでした。

昔の母は他の人に配慮して場を読んだりできる人でしたが今は自分が思う通

りにならないと我儘なことを言うようになりました。

母は実家で一人暮らしをしていますが隣に4番目の姉夫婦が住んでいて、と

ても頼りにしています。

姉は毎日時間を決めて母の様子をみてくれたり買い物に連れて行ってくれた

り、病院や美容院にも予約を入れて連れて行ってくれています。

私達姉妹は4番目の姉にとても感謝しつつ母がどんどん我儘になって行くの

を憂慮していました。

一番困るのがご近所の方々の噂話です。

と言っても、ズッと昔に聞いたことを断片的に覚えていて、それをあたかも

今聞いたことのように話すのです。

親子の会話のなかだけなら良いのですが他の方が居る時にも話し出すことが

あり、4番目の姉はいつも困っています。

母は何年か前から難聴になり補聴器を付けてはいますがあまり機能していな

いようで、一方的に話すことが多くなっています。

ですが、その話を聴いてイラっとすることも正直ありますが、もっと自分の

ことを知って欲しい、もっと話を聴いてほしい、もっと褒めてほしい。

と思って来たのだな、と思いました。

人は誰でも自分の事を価値ある人間だと思いたいし、他の人にも価値ある人

間だと思ってもらいたいと思っています。

それは人間の三大欲求である食欲、性欲、睡眠欲と同じくらいか、それ以上

に強い欲求だと言われている自己重要感そのものです。

私はもっと早くに母に対してコミュニケーションを密にして自己重要感を満

たす関わりをしてあげれば良かったと思いました。

気付いた今からでも実践しようと思います。

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2022.11.21

約41年間の歩みNO.51

釧路の義母も父も札幌に居る私が退職するのを待って旅立って行ったのではな

いかと思うほどのタイミングでした。

義母は87歳、父は95歳になっていました。

二人とも若い時から苦労の連続だったと聞いていました。

特に父は大家族の家庭に生まれていながら子供が居なかった実母の姉に引き取

られ、一人っ子として厳しく育てられたとのことです。

学ぶことが好きだった父ですが家業の酪農や農業を手伝うために満足に勉強が

できず悔しい思いをして来たのだと思います。

そして母とお見合いをして家庭を持ち、5人姉妹の父となった・・・

40歳になって測量士になる夢を実現し単身東京で測量学校に通った・・・

こう考えると父母には測量の仕事をするために男の子が生まれなかったのかな

とも思えます。きっと男の子が生まれていたら酪農と農業は続けていたと思い

ますから。

このように人生って生まれる前からある程度青写真のようなものがあるのだと

思っています。

自分はどんな目的をもって生きていくのか、そこにはどんな成長のテーマがあ

るのか。

周りに対する貢献できるテーマも必ず持って生まれて来ていると思います。

それに気づいて生きて行くかどうかは本人次第ではないでしょうか。

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2022.11.20

約41年間の歩みNO.50

2021年3月31日に40年8ケ月勤めた会社を退職しました。

多くの方からお花やポーチやハンカチや日本酒など送別の記念品をいただき

心から感謝しています。

オフィスを離れる時は流石に寂しさがこみ上げてきました。

私としては本社で退職を迎えるものと思っていましたが今となっては北海道の

人間として札幌で会社員人生最後の時を迎えられて良かったと思っています。

そして私は翌日からは失業者となりました。

待機期間を経て失業給付を受けることに。

これもまた人生で初めての経験でした。

失業してすぐの4月初めに釧路で入院していた義母が亡くなったのです。

送別会を企画してくださっていた方々に丁重にお詫びして釧路に帰りました。

旭川の方々にはコロナ禍の中でしたが3月中に送別会をしていただいていま

した。

集合写真は私だけマスクを外していますが皆さんはマスクのまま・・・

私だけ大変失礼しました。

義母は数年前から施設に入り食事療法でスマートになっていました。

その上大病を患っていましたが安らかな綺麗な顔で眠っているようでした。

義母には子供たちのことで本当にお世話になり感謝の念でいっぱいです。

そして7月に私の父も亡くなったのです。

父も入院していたので会える状況ではなかったのですが亡くなる前日に私は

丁度釧路に戻っていて10分間だけ面会を許されたのです。

私の長男と2人で父のベットの横に座り、もう話もできず仰向けに寝た切り

の状態の父の手を握っていました。

と、その時です。

父が力の限り私の手を握り返してくれたのです。

私は驚いて「父さん!父さん!」と大きな声で呼びました。

父は一瞬パッと目を開いて私を見てくれたのです。

私は「あー、大丈夫だ!まだ大丈夫!」と嬉しくなりました。

約束の10分が経過し、「また来るね!」と父に伝え母が待つ実家に行って

父の様子を伝えました。

そして、翌日、父が息を引き取ったのです。