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2022.11.22

約41年間の歩みNO.52

父が亡くなり母のことが心配でしたが母は思いのほか元気でした。

と言うか元気過ぎるくらいで驚きました。

父は95歳で亡くなりましたが、その時の母は91歳。

母は「父さんは95歳で死んだから、母さんは父さんより長生きしたい!」

と言いました。

よく仲の良い夫婦はどちらかが亡くなるとすぐに後を追うと聞いていたので、

ちょっと肩透かしを食うような気持ちでした。

昔の母は他の人に配慮して場を読んだりできる人でしたが今は自分が思う通

りにならないと我儘なことを言うようになりました。

母は実家で一人暮らしをしていますが隣に4番目の姉夫婦が住んでいて、と

ても頼りにしています。

姉は毎日時間を決めて母の様子をみてくれたり買い物に連れて行ってくれた

り、病院や美容院にも予約を入れて連れて行ってくれています。

私達姉妹は4番目の姉にとても感謝しつつ母がどんどん我儘になって行くの

を憂慮していました。

一番困るのがご近所の方々の噂話です。

と言っても、ズッと昔に聞いたことを断片的に覚えていて、それをあたかも

今聞いたことのように話すのです。

親子の会話のなかだけなら良いのですが他の方が居る時にも話し出すことが

あり、4番目の姉はいつも困っています。

母は何年か前から難聴になり補聴器を付けてはいますがあまり機能していな

いようで、一方的に話すことが多くなっています。

ですが、その話を聴いてイラっとすることも正直ありますが、もっと自分の

ことを知って欲しい、もっと話を聴いてほしい、もっと褒めてほしい。

と思って来たのだな、と思いました。

人は誰でも自分の事を価値ある人間だと思いたいし、他の人にも価値ある人

間だと思ってもらいたいと思っています。

それは人間の三大欲求である食欲、性欲、睡眠欲と同じくらいか、それ以上

に強い欲求だと言われている自己重要感そのものです。

私はもっと早くに母に対してコミュニケーションを密にして自己重要感を満

たす関わりをしてあげれば良かったと思いました。

気付いた今からでも実践しようと思います。

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2022.11.21

約41年間の歩みNO.51

釧路の義母も父も札幌に居る私が退職するのを待って旅立って行ったのではな

いかと思うほどのタイミングでした。

義母は87歳、父は95歳になっていました。

二人とも若い時から苦労の連続だったと聞いていました。

特に父は大家族の家庭に生まれていながら子供が居なかった実母の姉に引き取

られ、一人っ子として厳しく育てられたとのことです。

学ぶことが好きだった父ですが家業の酪農や農業を手伝うために満足に勉強が

できず悔しい思いをして来たのだと思います。

そして母とお見合いをして家庭を持ち、5人姉妹の父となった・・・

40歳になって測量士になる夢を実現し単身東京で測量学校に通った・・・

こう考えると父母には測量の仕事をするために男の子が生まれなかったのかな

とも思えます。きっと男の子が生まれていたら酪農と農業は続けていたと思い

ますから。

このように人生って生まれる前からある程度青写真のようなものがあるのだと

思っています。

自分はどんな目的をもって生きていくのか、そこにはどんな成長のテーマがあ

るのか。

周りに対する貢献できるテーマも必ず持って生まれて来ていると思います。

それに気づいて生きて行くかどうかは本人次第ではないでしょうか。

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2022.11.20

約41年間の歩みNO.50

2021年3月31日に40年8ケ月勤めた会社を退職しました。

多くの方からお花やポーチやハンカチや日本酒など送別の記念品をいただき

心から感謝しています。

オフィスを離れる時は流石に寂しさがこみ上げてきました。

私としては本社で退職を迎えるものと思っていましたが今となっては北海道の

人間として札幌で会社員人生最後の時を迎えられて良かったと思っています。

そして私は翌日からは失業者となりました。

待機期間を経て失業給付を受けることに。

これもまた人生で初めての経験でした。

失業してすぐの4月初めに釧路で入院していた義母が亡くなったのです。

送別会を企画してくださっていた方々に丁重にお詫びして釧路に帰りました。

旭川の方々にはコロナ禍の中でしたが3月中に送別会をしていただいていま

した。

集合写真は私だけマスクを外していますが皆さんはマスクのまま・・・

私だけ大変失礼しました。

義母は数年前から施設に入り食事療法でスマートになっていました。

その上大病を患っていましたが安らかな綺麗な顔で眠っているようでした。

義母には子供たちのことで本当にお世話になり感謝の念でいっぱいです。

そして7月に私の父も亡くなったのです。

父も入院していたので会える状況ではなかったのですが亡くなる前日に私は

丁度釧路に戻っていて10分間だけ面会を許されたのです。

私の長男と2人で父のベットの横に座り、もう話もできず仰向けに寝た切り

の状態の父の手を握っていました。

と、その時です。

父が力の限り私の手を握り返してくれたのです。

私は驚いて「父さん!父さん!」と大きな声で呼びました。

父は一瞬パッと目を開いて私を見てくれたのです。

私は「あー、大丈夫だ!まだ大丈夫!」と嬉しくなりました。

約束の10分が経過し、「また来るね!」と父に伝え母が待つ実家に行って

父の様子を伝えました。

そして、翌日、父が息を引き取ったのです。

2022.11.19

約41年間の歩みNO.49

私は5人姉妹の5女として北海道阿寒町の片田舎に生まれました。

両親は酪農や農業を営み、経済的には決して裕福ではない家庭でした。

両親は家業を継いでくれる男の子が生まれることを望んでいましたが5番目

も女の子・・・

母は大きく落胆したと物心がついた時に直接私に言っていました。

産まれた直後は橋の下に本当に置いてこようと思ったらしいです。

その後両親は占いをみてもらい「お宅には男の子は生まれません。」とハッ

キリ告げられたことで諦めたようです。

もし両親が本当に橋の下に置いていたら私の人生は全く違うものになってい

たかも知れません。

とはいえ、その後の私は5女の末っ子として家族から甘やかされ、可愛がっ

てもらったと自覚しています。

そんな私はいつの頃か「私は何のために生まれてきたのだろう?」と思うよ

うになりました。

決して何かに悲観してのことではありません。

自分には生まれてきた意味があるはずだと思うようになったのです。

なので人生の時々に起きたネガティブな出来事にも「この出来事を違う角度

で捉えたらどうなるだろう?」と知らず知らずのうちに自問自答している私

がいたのです。

その出来事を乗り越えた先には私自身が成長を実感できる出来事が待ってい

ました。

そして、信念を持って願えば必ず描いた夢は実現することも体験しました。

SNSで偶然出会ったライフコーチング!私は「これだ!」と確信しました。

私が知りたかったことがこのロジカルに体系立てた12ステップコーチング

に凝縮されていました。

現実の世界とスピリチュアルの世界が丁度良いバランスで成り立っていまし

た。

私は心の赴くままにポチっと申し込みをしていたのです。

2022.11.18

約41年間の歩みNO.48

退職を決めてからの月日の流れは本当に早かった!

退職後のことを考えて、今から準備できることを探しました。

まず、何をするか。

どこでするか。

誰とするか。

自分勝手に色々妄想しながら準備を進めて行きました。

まずは何をするか・・・

私は約41年間も生命保険業界にいて、人に多く関わってきました。

そして、多くの人の話を聴いてきました。

仕事のこと、人間関係のこと、経済的なこと、身体のこと、健康のこと。。。

本当に様々な悩みや問題を抱えている方が多かったですし、自分だけでは問題

を解決できない人も多かったと思っていました。

これからの人生はこういう方々の心に寄り添い、対話を通して内省を促し自問

自答のなかから本人が答えを見つけ行動に変えて行くキャリアコンサルタント

やコーチとして対人支援の仕事をして行きたいと自然と思えたのです。

早速キャリアコンサルタントの国家資格を得るための講座に申しこみました。

キャリアコンサルタント養成講座は教育訓練給付制度(専門実践)の指定講座

のため合格したら学費が最大70% 還元されます。

私は札幌の通学コースを選んだので住む場所も自然の流れで決まりました。

そしてもう一つ・・・

対人支援をしていて感じていたことがあります。

理屈では片づけられないような不思議な出来事だったり力だったり・・・

ある時偶然SNSで見かけたライフコーチングが気になっていました。

その後も何度も何度も見かけているうちに一度しっかり読み込んでみたのです。

そこには私の心が求めていた内容が書かれていました。