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2022.10.17
約41年間の歩みNO.16
翌年も業績、採用活動は順調に推移しており再度入賞?と思いきや結果全国5位か
6位だったと記憶しています。3位までが入賞だったので残念でしたが全国の営業
担当者が大勢該当になった為、初年度とは全く違った形式での表彰だったとのこと
でした。私は初年度に行けて本当にラッキーでした。
そして、日本の生命保険会社から外資の生命保険会社の体制に少しづつ変わって行
きました。
転籍してから1年と少し経過した2000年5月31日、ついに運命の日がやってきます。
私は夕方オフィスに居ました。その頃はまだオフィスにピンク電話が置かれていて、
お客様からも頻繁に電話がかかってきていました。
その日もいつものように「リーンリーン」とピンク電話から呼び出し音が・・・
私はこれまたいつものように「はい。マニュライフセンチュリー生命の長谷川です。」
と名乗り電話を受けました。電話の向こうでは「今、テレビでお宅の会社が破綻した
って言ってるけど本当なの?」と・・・
私は思わず「え~!!」と叫んでしまいました。
オフィスの中にいた事務員さん、営業の方々も一様に私の方を凝視していました。
すぐに「確認させていただきます。」と切電し上長に連絡しました。
そこで真実を知りました。
既契約を保全していた第百生命が破綻したのです。。。
そこからは怒涛の日々が続きました。
破綻当日はお客様窓口は閉店しているにも関わらずお客様が押し寄せて来ました。
対応できない状況でしたのでお帰りになるのを待つしかないわけで。
本当に辛かったです。お客様に申し訳なくて何とかして納得できる説明をしてさし
あげたかった。でも叶わなかったのです。
その日は帰るに帰れない状況で夜中の2時頃にやっと帰ることができました。
私は自分自身も保険募集はしていましたが営業担当の方々の比ではありません。
皆さんは自宅に帰ってからもお客様からの電話対応で寝る時間がなかったと聞き
ました。本当に辛い状況に耐えて頑張ってくれました。感謝しきれません。
私も担当者がいないお客様を中心に対応のため自宅にお詫びに回りました。
ある方には広い庭を指さし「あの木の傍に梯子があるから登って首をつって死ね」
と言われました。
またある方には「あなたたちの責任じゃないよ。会社が悪いんだ。だから元気を
出して、これからも頼むね。」と言われました。
そして、破綻当日のことも忘れられない想い出があります。
私の拠点でいつも私を陰で支えてくれていた営業の女性がいました。
破綻当日の19:00にお客様と前もってご契約の約束をしていたのです。
約束の時間前に破綻が判明したので当然ご契約はキャンセルされると思っていま
した。ところが「約束は約束。破綻のことは知っているけど約束通り契約するよ。」
と言ってくれたとのこと。
年配の営業担当の方でしたが21:00頃泣きながらオフィスに戻ってきました。
私も思わずもらい泣きをしながら、人間の本質を垣間見た思いでした。
破綻したのに新しい契約?と不思議に感じられる方もいらっしゃるでしょう。
しかし、新しい契約は転籍先のマニュライフセンチュリー生命での契約受理となる
わけです。
ここから暫くは我武者羅にお客様対応に明け暮れる日々でしたが拠点の誰もが会社
を辞めたいという言葉を言いませんでした。
本当に人間的にも素晴らしい方々でした。